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日本銀行金融研究所では、2024年11月8日にファイナンス・ワークショップを対面・オンラインのハイブリッド形式で開催しました。今回で10回目の開催となった同ワークショップでは、「気候ファイナンス研究の進展」をテーマに、3つの研究報告が行われました(プログラム)。
1. 開会挨拶
諏訪園健司(日本銀行理事)は、日本銀行の気候変動に関する取り組みについて、金融機関との対話や国際的な議論への参画を積極的に進めつつ、物価の安定と金融システムの安定という使命に沿って進めていると述べました。金融研究所においても、経済学・ファイナンス・法学・会計学の分野でリサーチ論文を公表するなど、調査研究の観点から気候変動に関する取り組みを続けていると紹介しました。とりわけ、ファイナンス分野の研究では、近年、データ活用や分析手法の開発が進むもとで、さまざまな切り口から研究が急速に進展しており、ワークショップで活発な議論が期待されると述べて、開会の挨拶を締めくくりました。
2. 気候ファイナンスの文献に関する研究報告

平木一浩氏(国際通貨基金)は、近年急速に研究が進展する気候ファイナンスについて、金融市場の価格発見・リスク移転機能と金融仲介機能の切り口から、最新の研究動向と課題を概観しました(資料1)。
平木氏は、最初に、金融市場の価格発見・リスク移転機能がしっかりと発揮されるもとで、気候関連リスクが金融資産価格に適切に反映されているかどうか検証した文献を紹介しました。一例として、炭素排出量が少ないグリーン企業と多いブラウン企業の株価リターンを比較したBolton and Kacperczyk [2023](参考文献1)を紹介しました。同論文は、ブラウン銘柄のリターンはグリーン銘柄よりも高く、気候関連リスクのひとつである移行リスクが株価に織り込まれているとの実証結果を報告しました。もっとも、平木氏は、最近の研究をみると、グリーン銘柄がより高いリターンをあげていることを報告する実証研究もあると付言しました。これらの相反する結果を解釈することは容易ではないが、現在は気候関連リスクが十分に考慮されていないという意味でのミスプライシングが修正されていく過渡期にあるのではないかと論じました。
平木氏は、次に、気候変動対応には多くの資金が必要とされることから、金融市場における金融仲介機能が重要であると指摘したうえで、近年、サステナブル投資が増えていると述べました。続けて、サステナブル投資が資産価格や発行体企業の行動に与える影響を分析した文献を紹介し、サステナブル投資が気候変動対応を効果的に促していくためには、現在の炭素排出量ではなく将来の排出量削減に着目した投資先企業の選定が望ましいと、多くの先行研究が指摘していることを報告しました。今後の課題として、投資主体がより適切に投資先企業を選定し、サステナブル投資の実効性を高めるためには、ESGスコアなどの気候関連データの整備も欠かせないと指摘しました。
指定討論者の篠潤之介氏(早稲田大学)は、本研究の重要な貢献として、気候ファイナンスに関する実証分析のサーベイに加えて、多くの実証分析結果を評価するうえで有益な理論的枠組みを整理したことを挙げました。特に、ESG投資を考慮したCAPM(Pedersen, Fitzgibbons, and Pomorski [2021])(参考文献2)を用いて、投資先企業の選定の際にESGスコアを利用するか、あるいはESGスコア自体に非金銭的効用を見出すかといった投資家タイプの違いが、金融資産価格に及ぼす影響を体系的に解説した点を高く評価しました。タイプの違いによって、グリーン銘柄が選好されたりブラウン銘柄が選好されたりするため、相反する実証分析の結果を解釈するうえで、ESG投資を考慮したCAPMは役立つと論じました。
3. 本邦企業におけるCDSと炭素排出量に関する研究報告

沖本竜義氏(慶應義塾大学)は、世界のESG投資が過去15年で急速に拡大してきたことを紹介し、金融市場が企業の炭素排出量を金融資産価格にどのように反映してきたか把握することの重要性を指摘しました。そのうえで、炭素排出量に対する市場の評価について、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)に着目して実証分析を行い、その結果を紹介しました(鷹岡澄子氏<成蹊大学>との共同研究、資料2)。
沖本氏は、市場参加者が炭素排出量を活発な企業活動の裏返しとみるならば、炭素排出量と企業のリスクを示すCDSスプレッドには負の関係が生じるだろうと述べました。一方、市場参加者が炭素排出量を将来の規制対応へのコスト(カーボン・リスク・プレミアム)とみるならば、炭素排出量とCDSスプレッドには正の関係が観察されるとの仮説を提示しました。そのうえで、沖本氏は、2005年から2019年までの本邦CDS市場のデータを用いて、カーボン・リスク・プレミアムの存在と、その時系列的な変化について分析しました。
分析の結果、沖本氏は、国連中心に責任投資原則が提唱された2006年以前は、顕著なカーボン・リスク・プレミアムは確認されず、炭素排出量とCDSスプレッドには負の関係が存在すると指摘しました。もっとも、年々、投資家のESGへの認識が高まるに連れて、同プレミアムが大きくなってきたことが観察されると述べました。さらに、同プレミアムの大きさは業種に依存すると指摘し、とりわけ、相対的に排出量削減が難しいとみられている業種では、プレミアムが小さいと指摘しました。最後に、政策インプリケーションとして、炭素排出量の削減が難しい業種では、排出量を増やしてもCDSスプレッドの拡大につながらないなど、金融市場の評価が排出量削減のインセンティブになり難いことから、排出量削減技術導入に対する補助金などを活用していくことが重要ではないかと論じました。
指定討論者の白須洋子氏(青山学院大学)は、本研究は、本邦企業のCDSスプレッドの長期データと信用度の高い気候関連データベースを用いて、さまざまな頑健性チェックも含む豊富な実証分析を行っている力作であると評価しました。そのうえで、2015年のパリ協定の採択に伴い投資家行動が変化している可能性や、事業縮小や技術開発といった排出量削減の背景の違い、ダイベストメント・エンゲージメントといった投資手法に関する国・地域間の違い、責任投資原則に署名した投資家においても環境への取り組み姿勢が異なっている点などに注目して、さらに分析を深めていくことも有益であると指摘しました。
4. 気候関連リスク分析のためのシナリオ作成に関する研究報告

竹山梓(日本銀行企画役)は、最初に、気候変動やその対策が金融システムや金融機関に及ぼす影響に金融当局や金融機関の注目が集まっていると述べました。そうした影響を考察する際に、参照すべき適当な事案や過去のデータが不足していることが大きな課題であると指摘しました。続けて、そうしたもとでも有効に機能する手段が、シナリオ分析によるリスク計測・管理であり、近年、わが国を含む60以上の国・地域において、こうしたシナリオ分析が行われていると述べました。
竹山は、分析に必要となるシナリオの作成に用いるモデルについて考察することで、シナリオ分析に関する論点と今後の課題を整理することが本研究の目的であると述べ、主要なモデルとその特徴について説明しました(松井祐依氏<国際通貨基金>、南井敬晶<日本銀行>との共同研究、資料3)。
竹山は、ウィリアム・D・ノードハウス(2018年ノーベル経済学賞受賞)によって提唱されたDICEモデル(参考文献3)を例示しながら、標準的な経済成長理論に、経済活動により生じる温室効果ガスが気温を上昇させ経済活動に負の影響を及ぼすメカニズム等を加えることで、気候変動と経済成長の関係を考察するためのモデルを構築することができると解説しました。もっとも、こうした簡便モデルは、主要なパラメータの値がわずかに変動するだけで結果が大きく変わってしまう点を指摘しました。
また、竹山は、これらの課題を踏まえ、国際機関等において公表されているシナリオの作成には、エネルギーや土地の利用状況を勘案した拡張モデルが使われていることを紹介しました。ただし、こうした拡張モデルでも、市場メカニズムを通じた円滑な需給調整などが想定されており、このモデルを使って作成されるシナリオは、経済成長を阻害する摩擦やショックを想定しないベースライン・シナリオのような位置付けとなると指摘しました。そして、今後の課題として、先行きについて不確実性が大きい気候関連リスクを適切に計測・管理していくために、各国の経済環境や産業構造などを踏まえつつ、シナリオのバリエーションを増やしていくことが重要ではないかと指摘しました。
指定討論者の水門善之氏(野村證券)は、本研究について、シナリオ作成のためのモデルの構造と、それを用いて作成されるシナリオの論点を分かりやすく整理していると評価したうえで、今後の展望として、モデルの透明性向上や、国・地域ごとの前提条件の整合性や経済活動の相互作用を考慮することの重要性などを指摘しました。また、シナリオ分析に関する論点を踏まえた金融経済政策の在り方など、政策へのインプリケーションについて論点を提起しました。
5. 閉会挨拶
渡辺真吾(金融研究所長)は、本日の研究報告を振り返り、近年、気候ファイナンス研究が急速に進展しており、脱炭素の流れに資する研究も増えていると述べました。他方で、各研究報告で議論されたように、金融市場のミスプライシング、気候関連リスクの計測方法やその前提条件、気候関連データベースの整備をはじめ、多くの課題が残されており、今後の取り組み余地はなお大きいと指摘しました。
脱炭素に向けた取り組みについては、進んでいるといわれる欧州においても、例えば、英国におけるガソリン車・ディーゼル車や石油・ガス暖房に関する規制の先送りなど、最近、巻き戻しの動きがみられていると指摘しました。そして、こうした動きは、長期的な脱炭素の流れは変わらないとしても、現実の移行は簡単ではないことを示していると述べました。そのうえで、学者・実務家・政策当局者などはこの現実をみて小休止するのではなく、それぞれの立場から脱炭素の流れに資するような研究や議論を続けることが重要であると強調し、閉会の挨拶を締めくくりました。
今回のワークショップの議事要旨などは、金融研究所のディスカッション・ペーパーとして公表し、今回のワークショップのウェブサイトにも掲載する予定です(2024年ファイナンス・ワークショップへのリンク)。
なお、ここに掲載した所属・肩書は、今回ワークショップ開催時点のものです。
【参考文献】
文献末尾の番号をクリックすると、本文に戻ります。
- Bolton, Patrick, and Marcin Kacperczyk, “Global Pricing of Carbon-Transition Risk,” Journal of Finance, 78(6), 2023, pp.3677-3754. (1)
- Pedersen, Lasse H., Shaun Fitzgibbons, and Lukasz Pomorski, “Responsible Investing: The ESG-Efficient Frontier,” Journal of Financial Economics, 142(2), 2021, pp.572–597. (2)
- Barrage, Lint, and William Nordhaus, “Policies, Projections, and the Social Cost of Carbon: Results from the DICE-2023 Model,” Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 121(13), 2024, e2312030121.(3)