金研設立40周年記念対談:マネーシステムの歴史を語る(第1回<全3回>)

立正大学の北村行伸教授(一橋大学名誉教授)と早稲田大学の鎮目雅人教授をお招きし、マネーシステムの歴史を語りあう記念対談、第1回をお届けします。

今回は、「お金はいつどのように生まれ、どのような機能をはたしたか」というお話です。

お金はいつどのように誕生したか

副島(金融研究所長) 暗号資産、ステーブルコイン、中央銀行デジタル通貨(CBDC)など、新しいお金の話を毎日耳にします。その内容や性質を知るにつれ、そもそもお金とは何かという疑問に直面します。

預金や電子マネーと完全互換性があるポイントはお金と呼んでいいのか、誰がお金を発行したほうがよいのか・してよいのか、新しいお金はどうやって一般受容性(多くの相手がお金を受け取ってくれること)を獲得していったのか、なぜ暗号資産はお金になれないのかとか、たくさんのモヤモヤがあります。

立正大学・北村行伸教授

北村(敬称略) 物々交換が繰り返され、より便利なものが選ばれていき、その結果金属のお金が誕生する、という説があります。よく聞くお話しですよね。これは古代ギリシャのアリストテレスによって唱えられ、長いあいだ信じられてきましたが、近年の研究ではそうではないことが分かっています。 7000年前のメソポタミアの時代には、「いくら配った」「いくら貸した」という事実が帳簿に文字・数字で記されることで、信用(貸借勘定の管理)が成立していました。そこでは金貨のような物理的なお金は存在していませんでした。

世界で最初の金属のお金は、紀元前7世紀頃に今のギリシャとトルコの間にあったリディアという国で作られたエレクトロン貨です。当時の王様が、一か月生活できるくらいの価値があるモノとして兵士に与えたものと言われています。

「エレクトロン貨」<日本銀行貨幣博物館所蔵>

副島 アリストテレス説のように、物々交換が行われるなかで仲介財として便利なものがお金に発展していった、という話ではないのですね。

北村 そうです。最初の金属のお金が「一か月分の生活費」というキリのいい単位であったことがポイントの一つです。お金の機能の一つである価値尺度がここで登場しています。

しかし、一か月分の生活費とは単位が大きすぎます。日々の買い物には、例えば100円玉や1000円札といったもっと価値の小さいお金でないと使えません。そうした価値の小さいお金としては、貝殻などがそれぞれの地域で使われました。金貨や銀貨といった金属のお金が同じように使われるのは、もっと時が経ってからです。重要なのは、物々交換から貝殻マネーが出てきたのではないという点です。

鎮目(敬称略) 貨幣博物館の展示は、まさにそうした考え方に立って組み立てられています。物々交換からお金が生まれたということではなく、お金がどう使われてきたかという歴史に即して説明しています。

対談の様子

【次ページ、お金とは何か】

お金とは何か

早稲田大学・鎮目雅人教授

鎮目 お金がどうやって誕生したのかという問いに答えるのはとても難しいです。現代の我々が持っているお金の概念を過去に当てはめて考えるような問い立ては無意味だといえます。 当時の人々が、これはお金だと意識して貝殻などを使っていたかというと、必ずしもそうではないでしょう。また、リディア以降も、時の権力者が刻印してお金を発行しており、金属の価値は認識されていたでしょうが、権力者が認めたという事実のほうがより意味があったのかもしれません。 商品貨幣か信用貨幣かという問い立ても、お金を理解するために現代人が作り上げたコンセプトに過ぎません。使われている素材の価値に基づくお金(商品貨幣)と、相手に対する借り・信用に基づくお金(信用貨幣)という区分けは、それを使っていた当時の人にとっては明確なものではなかったかもしれません。

副島 たしかに!自動引き落とし(自動支払い)に使っている預金マネーは銀行に対する自分の債権であって、だから預金は銀行が負債として発行している信用貨幣である、、、なんて意識して使ったりはしませんよね。

鎮目 ですよね。それから、価値尺度の話が出てきました。現在の理論では、お金の三つの機能として、交換手段、価値尺度、価値保蔵手段が挙げられますが、一つが欠けたからといってお金として不完全ということではありません。

先ほどのメソポタミアの話では実物のお金は存在せず、つまり実物としての交換手段機能はなかったわけです。しかし、帳簿に記載された貸し借りは価値尺度としての機能をもっていて、貨幣的に使われていたと評価できます。

それぞれの地域でその時代の社会・経済・宗教などを反映して、様々なものが「今でいうお金」と同じように使われるようになったと考えるのが自然です。

北村 リディアでのお金の成功もあって、ギリシャの国々も自分でお金を発行するようになり、今の暗号資産と同じように種類もたくさんありました。為政者にとっては、お金を出せば兵士を雇え、自分の好きな建物も建ててもらえるので、とても便利だったのです。これらは、いずれも「一か月分の給料」として発行されたのが共通しています。

鎮目 中国でも兵士の給料を支給するためにお金が発行されました。

「2009年企画展:海を越えた中世のお金」(貨幣博物館HPへ)

副島 商品貨幣でも信用貨幣でもないものとして、日本の中世、12世紀半ば以降に中国から大量に流入して、使われた渡来銭があると思います。原材料が銅なので金属としての価値は高くないですし、発行した国家も滅んでしまったり、存立していたとしても海の向こうだったりします。モノとしての価値はないし、債権や負債としての性質も持っていないという点が暗号資産に似ていますよね。

北村 その時代、日本では原材料の銅の産出量が減少したこともあってお金が作られなくなっていました。渡来銭は、金属として価値はなく、保証する国もないけれど、使ってみたら便利であり、皆が受け取ってくれるので自分も受け取って問題ないという安心・納得が広く醸成されていきました。

鎮目 渡来銭がなぜ人々に受け入れられるようになっていったのかは正直よく分かりません。

最初は渡来銭を忌避していた朝廷や鎌倉幕府も、皆が使っているので、租税を米などの生産物ではなくお金で納める(代銭納)ことを許すこととなりました。

様々なものの価値がある単位で表現され、それが周囲の仲間と共有されて便利に使えるという状況になれば、金属の含有量がわずかでも、信用の主体が存在しなくても、お金として使われるということだと思います。

副島 あるフィンテック企業の方から、童話「手袋を買いに」はお金の本質を表しているという話を聞いたことを思い出しました。

母ぎつねが子ぎつねの片方の手を人間の手に変え、お金を渡して手袋を買いに行かせました。子ぎつねは、お店で間違えて狐の手の方でお金を出しましたが、お店の人はお金が本物だったのでそのまま受け取り、手袋を子ぎつねに渡しました。

その方は、お金は人を(狐も)差別しないという含意を強調されていました。広く使われている本物のお金であれば、それが狐の手に乗っていたとしても問題なく受け取ってもらえるという一般受容性の話とも解釈でき、お金の本質を表していると思います。

【次ページ、お金の価値をいかに安定させるか】

お金の価値をいかに安定させるか

鎮目 いろいろないきさつを経て誕生したお金ですが、大量に発行されて価値が下がり、社会経済が混乱するということがたびたび起こりました。そのたびに対応策を打ち、別の仕組みを取り入れて、とお金の価値を安定させるために試行錯誤が繰り返されてきました。

北村 例えば渡来銭であれば、海外から持ってくるので一気には供給できません。お金を使うニーズ、需要が増えたとしても、すぐには応えることはできず、大量に供給されて価値が下がるということは避けられます。

「貝殻のお金」<日本銀行貨幣博物館所蔵>

鎮目 供給がコントロールされていることは、価値を安定させる一つの要因だったと考えられます。太平洋諸島の貝殻のお金も、自分の島、地域で拾うことのできない貝殻が使われていました。供給を調整するための知恵だったのでしょう。人が亡くなったらその人の持っていたものを共同体に返す、という宗教や社会慣行に基づくものもありました。

副島豊・金融研究所長

副島 急に増えたり減ったりせず、皆が安心して使うことができると感じたものが、お金として使われたということだと思います。 ところで、暗号資産はビットコインのように、マイニングの制度設計によって総供給量が確実に時間コントロールされているものがあります。しかし、投機需要の急激な増減で価値の安定には失敗していますよね。

北村 お金の三つの機能(交換手段、価値尺度、価値保蔵手段)のうち、価値尺度が一番大事です。交換する時や価値を保蔵する時には一定の価値基準が共有され、保たれていることが大前提になります。

交換手段や価値保蔵手段はお金以外の他のものでもできます。価値尺度が安定していること、例えば「一万円でこれくらいのものを買うことができる」という購買力が保証されていることは、人々が安心して生活するために非常に重要です。現代社会ではその役割を中央銀行が担っています。

「2007年企画展:貨幣誕生」(貨幣博物館HPへ)

鎮目 平城京を造った際の和同開珎は、労働者の給料として渡されていました。和同開珎を受け取った労働者は、都の市で日々暮らすための買い物をするので、その価値が安定していることは、生活に直結しており重要でした。

しかしながら、重要ではあるものの、なかなかうまくいかなかったのがこれまでの歴史です。例えば、日本では、和同開珎に続いて8世紀から10世紀にかけて発行されたお金は、徐々に小さく粗悪になっていき、価値は下がっていきました。

副島 16世紀に中南米で銀山が発見されて、ヨーロッパではお金が大量に供給されたことでインフレが起こってしまったことはよく知られています。いつの時代もどこの地域でも、お金の価値を安定させることは難しいのですね。

第1回おわり

第2回はこちら


北村行伸(きたむら ゆきのぶ)

立正大学教授・一橋大学名誉教授。1988年オックスフォード大学大学院博士課程修了。D.Phil(経済学)。OECDパリ事務官、日本銀行金融研究所研究員などを経て、2002年一橋大学経済研究所教授、2015~17年に同所長。2020年より現職。ご専門は金融論など。主な著書に Quest for Good Money: Past, Present and Future (Springer, 2022)、『パネルデータ分析』(岩波書店、2005)。


鎮目雅人(しずめ まさと)

早稲田大学政治経済学術院教授。1985年日本銀行入行、2006~08年、神戸大学経済経営研究所教授、日本銀行金融研究所勤務などを経て、2014年より現職。博士(経済学:神戸大学)。ご専門は金融史、貨幣史など。主な著書にThe Japanese Economy During the Great Depression: The Emergence of Macroeconomic Policy in A Small and Open Economy, 1931-1936(Springer, 2021)、『信用貨幣の生成と展開:近世~近代の歴史実証』(編著、慶應義塾大学出版会、2020)。


副島豊(そえじま ゆたか)

日本銀行金融研究所長。修士(経済学:ワシントン大学)。1990年日本銀行入行。金融市場局、決済機構局、考査局(金融機構局)、調査統計局、国際局、海外事務所長、支店長、フィンテックセンター長を経て、2021年より現職。


  • 本対談は、2022年10月下旬に開催しました。文中の肩書は対談時点のものです。
  • 本ニュースレター中で示された意見・見解は登壇者のものであり、登壇者が現在所属している、または過去に所属していた組織の公式見解を示すものでは必ずしもありません。