本稿では、1990年代前半に生じたバブル崩壊以降におけるわが国の賃金変動を観察することによって、フルタイム雇用者に関する名目賃金の下方硬直性がどの程度の期間存続していたのかを明らかにするとともに、労働生産性上昇率を考慮した実質効率ベースでの人件費が名目賃金の下方硬直性によってどの程度押し上げられてきたかを検証する。そのうえで、名目賃金の下方硬直性の存在を考慮したフィリップス曲線を推計することによって、名目賃金の下方硬直性がわが国の失業率をどの程度押し上げたかを試算する。本稿で得られた結果を要約すると、以下のとおりである。第1に、わが国のフルタイム雇用者に関する年間給与総額に下方硬直性が観察されたのは1992~97年であり、不況が深刻化した1998年以降は下方硬直性が観察されなくなった。第2に、1992~97年に観察された名目賃金の下方硬直性は、インフレ率と労働生産性上昇率が低く推移するなか、実質効率ベースで測った企業の人件費を押し上げ、企業収益を圧迫したと考えられる。第3に、名目賃金の引下げが困難な状況下、企業は数量調整によって人件費を削減するようになり、結果的に、名目賃金の下方硬直性は1997年までに失業率を最大で1%程度押し上げた可能性がある。ただし、この推計結果には名目賃金の下方硬直性以外の要因が混入している可能性もある。
キーワード:名目賃金の下方硬直性、インフレ率、失業率、労働生産性、フィリップス曲線、金融政策
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