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金研ニュースレター:経済史ワークショップ

日本銀行金融研究所では、2026年3月3日に経済史ワークショップを開催しました。同ワークショップでは、「経済史研究の現在と日本の歴史データ」をテーマに、講演と2つの研究報告が行われました。

1. 開会挨拶

中村康治(日本銀行理事)は、金融研究所で12年ぶりに開催する今回の経済史ワークショップでは、この分野の現在の主流である歴史的マイクロデータを用いた研究に関する岡崎教授の講演と2つの報告が予定されていることを紹介しました。また、日本銀行は、歴史が多くの教訓を含んでいるとの考え方のもと、経済史の基礎研究や歴史的資料の収集・保存・公開等を通じてこの分野に貢献してきたことに言及しました。そして、このワークショップが良質な議論の場となることを期待していると述べて、開会の挨拶を締めくくりました。

2. 講演:マイクロデータから見た日本の工業化と経済発展


岡崎哲二教授(明治学院大学)は、1900年前後の歴史的マイクロデータを活用して日本の工業化と経済発展を分析した3つの研究から、得られた知見と含意を述べました。これらは、技術変化、組織変化のクリーンな特定が可能でかつ、規制などのノイズが少ない歴史的な状況に着目した研究であり、「実験室としての経済史」という意義を有するものです。

まず、「産業革命における技術変化と組織変化」について、それぞれのインパクトを定量的に分離した研究を紹介しました。日本の織物業は、1900年前後の工業化の過程で、技術・組織の両面で革命的に変化しました。技術面では、糸から織物をつくる工程をすべて人力で行う「手織機」に代わって、動力(蒸気機関、電気等)を使う「力織機」が広く使われるようになりました。組織面では、家庭内での生産(問屋制)から、工場に人が集まる生産(工場制)への変化も進みましたが、力織機を使わない工場も存在しました。この点に着目すると、『農商務統計表』のデータを用いて技術変化と組織変化の労働生産性へのインパクトを、分離して推計できます。推計では、手織機と比べた力織機の生産性上昇幅は約2倍、問屋制と比べた工場制の生産性上昇幅も約2倍と、技術変化と組織変化のインパクトは同程度だったと指摘しました[1]

次に、「企業動態・市場構造変化と生産性」として、経営企業の変更と工場の生産性に関する研究を紹介しました。綿紡績業では、企業数が1890年代後半に増加したあと、1900年頃を境に減少に転じました。減少の過程で、企業の合併や買収が生じ、多くの工場で経営企業が変わりました。この時期も、個別の工場について、経営企業、産出、設備、労働者数、原材料使用量、操業時間、賃金などのデータが得られます。これらを用い、合併による経営企業の変更が生産性へ及ぼす効果を推計し、合併後の3年間で生産性は合併前を4.6%、4年目以降では13.4%上回ったとの結果を得ました。この推計では、経営企業の変更というダイナミクスが生産性を有意に上昇させたことが示されました[2]

最後に、「イノベーションと企業成長の発生メカニズム」では、製品の高度化・多角化と企業成長に関する研究を紹介しました。1900年頃の綿紡績業では、企業別・製品別の生産量、人的資本・機械などの豊富なデータが利用可能でした。ハイエンド製品とローエンド製品は、製品の「番手」(1ポンドの綿花から生産できる綿糸の長さ、ハイエンドの細糸ほど高い値)で区別可能でした。各企業の成長期には、多角化で製品種類数は増えた一方、新製品の多くは量産されず試行(少量生産)にとどまっていました。高度化・多角化と企業成長の関係を分析すると、まず、ハイエンド向け設備を有し、かつ外生的な操業短縮で余剰人員が生じた企業で、ハイエンド製品の試行が累積していました。次に、この試行累積が企業成長を高めた効果を、他の説明変数とともに2段階推計すると、ローエンド製品の生産ウエイトが高い企業のみ、有意な成長が確認され、企業の成長には試行による技術フロンティア拡大と量産品生産の両方の必要性が示唆されました[3]


3. 第一報告「The Hidden Driver of Japan’s Interwar Depression: Farm Price Collapse and Redistribution」


渡辺真吾(金融研究所長)の研究報告「The Hidden Driver of Japan's lnterwar Depression: Farm Price Collapse and Redistribution」では、昭和恐慌期のGDP減少について、先行研究で主な要因とされてきた米国大恐慌による外需減少と1930年の金本位制復帰に伴う円高要因のみでは説明できず、マイクロデータを用いた限界消費性向(MPC)とマクロデータを用いた一般均衡効果の推計から、農産物価格暴落が大きく寄与していたことが示されました。

具体的には、日本史において「農業恐慌」の始まりとされる1930年にかけての農産物価格暴落が外生的だったことを主要作物ごとに確認したうえで、『農家経済調査』を用い独自に整理した歴史的マイクロデータから当時の農家のMPCを0.46と推計しました。続いて、農家のシェアや農産物価格下落による所得減少が大きな府県ほど消費が減少していたことを示し、府県別データからも農産物価格暴落が農家の消費を押し下げたことが確認できるとしました。そして、農家の所得減少に伴う消費減少の一般均衡効果を、MPCの推計値と農家・非農家間の所得再分配の計算値、そしてマクロデータを用いて推計した財政乗数により計測しました。当時の農産物価格暴落による消費の直接的な押し下げ幅はマイナス1.6%からマイナス3.8%、これに伴うGDP減少幅はマイナス2.0%ポイントからマイナス4.7%ポイント、1930年のGDP下落(7.9%減)の25%から60%を説明するとの推計結果でした。この研究は、経済史研究としての意義を有するほか、所得の再分配が大きな需要ショックとなった具体例や外生的ショックの一般均衡効果を推計する手法の応用例として、現代の調査・研究にも含意を有すると述べました。

指定討論者の小笠原浩太准教授(東京科学大学)は、貢献として、先行研究のあった米国大恐慌時と同様の要因を指摘し恐慌史研究において農産物価格下落に注目する重要性を示したこと、マイクロデータを用いてMPCを推計したこと、価格下落による消費への直接効果と一般均衡効果を分けて推計する戦略を提示したことを評価しました。同時に、『農家経済調査』の標本の代表性が批判されうる点について『国勢調査』などを用いて代表性を検証する余地があること、農家の負債額の層別にMPCを推計する余地があることなどを指摘しました。


4. 第二報告「Life Insurance, Natural Disasters, and Human Capital Investment: A Case of Early 20th Century Japan」


大久保敏弘教授(慶應義塾大学)の研究報告「Life Insurance, Natural Disasters, and Human Capital Investment: A Case of Early 20th Century Japan」では、1900年から1940年の日本について、震災の被害を受けた家計を対象に、生命保険が子供の中等教育からのドロップアウトを防いだ効果の推計結果が示されました[4]

まず、この時期の生命保険について、子供の中等教育(旧制では小学校卒業後4~5年間通学)への備えが保険加入動機の1つだったこと、生命保険に関する歴史データは府県別に利用可能であることを紹介しました。次に、分析対象の中等教育機関を、データが40年間整合的に得られる男子の旧制中学校(5年制)と女子の高等女学校(主に4年制)に限定すること、他の中等教育(3年制の実業学校など)は制度変更で整合的なデータが得られないことを説明しました。実証分析では、男女別・府県別に、ある年・ある学年の在籍生徒数の、前年・1学年下の在籍生徒数に対する比率を進級率とみなし、これを生命保険の契約数、保険請求数、地震の被災者数、豊かさの代理変数(府県別預金など)のパネルデータで分析しました。手法としては、震災の被害で教育が維持できないという直接効果と、保険が震災の被害を和らげドロップアウトを防ぐ間接効果を、複数の方程式から同時推計する「媒介分析(mediation analysis)」を用いました。推計では、男子については、直接効果はマイナス、つまり、震災で被災すると進級率も低下したこと、同時に、間接効果ではプラス、つまり保険があると進級率の低下を和らげたことを、すべての学年で確認しました。女子については、直接効果は有意でなく、間接効果も総じて有意でありませんでした。これらの推計結果について、少なくとも男子生徒について、生命保険が中等教育からのドロップアウトを防いだ効果が確認できたとしたうえで、生命保険が長期的な人的資本形成を促す効果については別の分析が必要とする留保が示されました。

指定討論者の谷本雅之教授(大妻女子大学)は、大変興味深い論文であり、文部省の資料と生命保険の資料、それぞれが掲載する府県別データを組み合わせて使う戦略が分析に奏功していると評価しました。同時に、生命保険が人的資本蓄積を促す効果をより一層分析するのであれば、奨学金や授業料免除と生命保険との効果の比較、中退者も含めて教育年数で評価した人的資本形成の効果、就職により近い実業学校の人的資本の形成効果の考慮などが、論点になりうると述べました。

【参考文献】

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  • Tetsuji Okazaki (2021) "Disentangling the Effects of Technological and Organizational Changes during the Rise of the Factory: the Case of the Japanese Weaving Industry, 1905-14," The Economic History Review 74(4), pp. 976-1005. (1)
  • Serguey Braguinsky, Atsushi Ohyama, Tetsuji Okazaki, and Chad Syverson (2015) "Acquisitions, Productivity, and Profitability: Evidence from the Japanese Cotton Spinning Industry," American Economic Review 105(7), pp. 2086-2119. (2)
  • Serguey Braguinsky, Atsushi Ohyama, Tetsuji Okazaki, and Chad Syverson (2021) "Product Innovation, Product Diversification, and Firm Growth: Evidence from Japan's Early Industrialization," American Economic Review 111(12), pp. 3795-3826. (3)
  • Tetsuji Okazaki, Toshihiro Okubo, and Eric Strobl (2025), "Life Insurance, Natural Disasters, and Human Capital Investment: A Case of Early 20th Century Japan," CIGS Working Paper Series No. 25-010E. (4)