金融研究所40年を振り返って:マクロ経済・金融政策分析の観点から

共立女子大学教授・東京大学名誉教授
植田和男

植田和男 共立女子大学教授・東京大学名誉教授

金融研究所は設立40年を迎えるが、その前身として、1970年代後半には特別研究室という組織があった。当時まだMITの大学院生だった私は、ドーンブッシュが後に『金融研究資料』に掲載された白川前総裁のマネタリーアプローチによる為替レート分析結果の(日本語で書かれた)表を授業の中で説明するのを聞いて、強い刺激を受けたのを覚えている。やはりそのころ、組織立ち上げに深いかかわりを持っていた鈴木淑夫さんが、MITを訪れモジリアーニ教授と対談するところに呼ばれて二人の話を聞かせてもらう機会があった。確か2度目の石油危機をうまく乗り切りつつあった日本の金融政策について明快な説明をされていた。また、私自身が日本銀行を最初に訪問したのも特別研究室だった。黒田晁生さんの仲介でセミナーに呼ばれたのが1981年の夏ごろだった。

金融研究所は多彩な活動を繰りひろげてきたが、1990年代半ばまでの期間においては、その一つの中心は研究所メンバー、その他の日本銀行関係者、外部の学者が集まって、その時々の日本銀行が高い関心を持つテーマを議論する「金融研究会」であった。私も随分と参加させていただいたが、記憶に残っているテーマとして、日本の貸出市場と金融政策(1982年開催)、為替レート理論と円ドルレートの動き(1983年)、国際収支と為替レート(1985年)、資産価格変動と日本経済(1989年)、マネーサプライ・コントロール(1992年)などがある。こうした研究会はもちろんそのテーマについて自由闊達な議論を行うのが目的だったが、日本銀行サイドからは学界の動向を吸収する場であったし、学界サイドからは金融政策の現場の問題意識に触れる貴重な機会であった。

第1回国際コンファランスの模様(広報誌「にちぎん」1983年12月号より)

金融研究会をよりフォーマル、大規模にしたものが1983年から開催されている国際コンファランスである。私は参加しなかったが、第1回の会議に招かれたトービンとフリードマンがともにビザを持たずに成田に到着して、金研事務方がてんてこ舞いしたのは有名なエピソードである。国際コンファランス開催の意義は金融研究会と同様であるが、金融政策に関する世界標準の議論に定期的に触れることによって、日本銀行における議論が独善的なものになることを避けるという面が重要だったと思われる。
1990年代半ば以降は、金融研究会、その他のワークショップのテーマは一段と広範なものとなり、ファイナンス、会計、歴史、法律等の観点からのものが増えている。他方、前半の時期に盛んだったマクロ経済、金融政策関連のものは国際コンファランスを除くと下火になっている。

このような金融研究所活動の構造変化には少なくとも三つの背景があるだろう。一つは草創期から1990年代半ばにかけて、金融研究所は日本銀行におけるリサーチを活発化させる機能を十分に果たしたのだが、その結果、銀行内部のリサーチ人材は各局に散らばり、それぞれの部署で力を発揮するようになったことである。マクロ関係のワークショップの一部は調査統計局でその後も活発に開催されているし、金融システム、決済関連でも立派なレポートが公表されるようになっている。

2番目には、新日銀法の下で1998年からは金融政策関連の議論が政策委員会主導で進められるようになり、金融研究所で金融政策周りのテーマを正面から取り上げることがやや難しくなったと想像される。

構造変化の3番目の背景としてマクロ経済学の動きが指摘できよう。1970年代から80年代にかけては、合理的期待形成、新しい古典派マクロ経済学、時系列分析等が次々に新しい潮流として登場し、どれくらい意味のある議論であったかどうかは別にして、学界全体に活気があった。金融政策をめぐる議論も、第1回国際コンファランス時ではまだマネタリズム対ケインジアンの古典的な図式が対立軸としてあったし、金融政策ルールをめぐる議論も手探り状態に近い状態であった。これらを反映して金融研究所における議論も活発なものとなった面があろう。

2019年国際コンファランスで、前川講演を行うトリシェ元ECB総裁と、座長を務める植田教授。

しかし、1990年代以降ニューケインジアン経済学がかなり定着し、金融政策についてもインフレ・ターゲティングおよびそれを達成するためのテイラー・ルール等へ収束していく中で、マクロ経済学は、分析手法は精緻化したものの、画期的な新展開は残念ながら発生していない。中央銀行というマクロ経済現象に本質的にかかわる組織としてはなかなか難しい状態に置かれているわけである。

以上のような背景を踏まえつつ金融研究所には新たな発展を期待したい。もちろん、それがどのような形となるかは、日本銀行全体のなかでの役割分担を踏まえつつ、新しい世代が決めていくことである。1990年代半ば以降の動きの延長線上を進むことになるのかもしれない。

ただ、マクロや金融政策の分野では、容易ではないが本質的な発展が必要とされていることも事実である。景気循環、金融危機のような現象の背後では、「マクロ的な市場の失敗」が発生していると考えられる。例えば、経済主体の行動や予想形成には合理性からの乖離がしばしば観察されるが、これが経済全体に広がり、増幅され、資産価格やマクロ経済のboom-bust cycleにつながる等である。また、すでに30年近くの経験蓄積があるデフレ、低インフレ下での金利のゼロ金利制約は、ある種の市場の失敗ないし限界である。関連した分析の量は多いが、まだ本質的な発展にはつながっていないと見るべきだろう。金融研究所からの新しい動きに期待したい。