貨幣博物館 常設展示図録
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裏裏裏裏幕鉄や真鍮を材料とする銭貨や高額面の銭貨を発行し、銭貨不足に対処した。COLUMmemo48寛永通宝の発行は、「寛永」年間(1624〜1644年)の後も幕末まで続いた。元禄〜宝永期(1688〜1711年)には、国内の商品流通が盛んになり銭貨に対する需要が増加した一方、銭貨の材料でもある銅は重要な輸出品であった。銅が不足気味のなか、増加する銭貨需要を満たすため、軽くて小さな銅銭や十文銭がつくられた。鍬形蕙斎「近世職人尽絵詞」東京国立博物館蔵 Image: TNM Image ArchivesKan’ei Tsuho(Ogiwara Type) 近世17世紀末寛永通宝Kan’ei Tsuho1636年 幕府は1668年、江戸亀戸村に新たに銭座を設け、大量に寛永通宝を製造した。それ以前の寛永通宝と比べ、技術が進歩し、より均質で精巧なつくりとなった。左から天麩羅屋、焼きイカ屋、四文屋。「四文屋」は、さまざまな食べ物を4文単位で商う店。四文銭が流通していたことから、4文は区切りのよい値段であった。Kan’ei Tsuho(New Type)1668年Hoei Tsuho(Copper,10 Mon)1708年寛永通宝(荻原銭)寛永通宝(新寛永)宝永通宝 十文銭Issuance of Various Coins四文屋の屋台府は、江戸時代を通じて寛永通宝の発行を続ける一方で、さまざまな銭貨を発行した。商品流通が盛んになり小額貨幣に対する需要が増える一方、銭貨の材料である銅の供給に限界があったことから、幕府は、銭貨の移り変わりTransformation of Coins11さまざまな銭貨の発行

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