貨幣博物館 常設展示図録
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9大判の移り変わり大て天正大判をつくり、江戸時代にも引き続き大判をつくった。 近世44いずれの大判も表に文字が墨書され、品質を保証している。重さを示す「拾両」(約165g)桐の極印製造者の名前「後藤」花押(サイン)天正大判(天正長大判) 原寸Tensho Naga Oban16世紀後半品位70〜76%天正大判より前に日本でつくられた金貨は、重さや品位が一定せず、使うたびに秤で重さをはかる必要があった。天正大判以後につくられた大判は、重さや 品位が基準化された。Transformation of Gold Coins: Oban Gold Coins基準化された大判判は、大型の楕円形の板金に墨書をした金貨で、主に贈答などの儀礼の場面で使われた。大判をつくった後藤家は、室町幕府に仕えていた彫金師であった。その後、豊臣秀吉に命じられて初め大判とは?What Is an Oban?

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