貨幣博物館 常設展示図録
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1金銀を掘るmemo 近世28[16世紀の鉱山開発]Mining Development in the 16th Century石見銀山は、新しい精錬技術(灰吹法)を導入し、国内の鉱山開発の先駆けとなった。戦国大名は、石見銀山の開発をきっかけとして各地で鉱山を開発した。中世には、銀は海外から輸入されていたが、16世紀に入ると国内の生産が増え、輸出されるようになった。銀鉱山は石見や生野など西日本に多く分布し、西日本では銀貨が広く使われた。石州銀Sekishugin (Silver)16世紀石見銀山産の銀でつくられた銀貨。銀山をめぐって大名が争奪戦を繰り広げた。「豊臣期大坂図屏風」重さをはかって両替をする様子エッゲンベルク城所蔵(世界遺産/オーストリア)画像提供:関西大学なにわ大阪研究センター筑前博多御公用銀Chikuzen Hakata Gokuyogin (Silver)16世紀金貨や銀貨の一部が切り取られている御公用銀16世紀「ティセラ日本図」島根県立古代出雲歴史博物館蔵石見銀山産の銀は、海外にも輸出された。当時の海外の地図には、石見の地名がみられる。加賀花降銀Kaga Hanafurigin (Silver)16〜17世紀蛭藻金16世紀最初につくられた金貨・銀貨は、重さが一定でなく、使う際に重さをはかり、必要な重さに切って使われる秤量貨幣であった。宣教師ルイス・フロイス(1563年来日)は「日本では切片の重さをはかって通用している」(『日本覚書』)と記している。銀鉱山石見COLUM鉱山開発と精錬技術の発達Mining Gold and Silver世紀、日本国内における金銀の生産量は鉱山開発と技術革新により飛躍的に増大し、銀は海外へも輸出銀貨重さをはかって使うお金 切って使うお金16されるようになった。金貨・銀貨が登場し、軍資金として蓄えられるとともに高額取引に利用されるようになり、次第に金銀が貨幣として広く使われるようになった。鉱山開発と金貨・銀貨Mining Development for Gold and Silver Coins

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