貨幣博物館 常設展示図録
23/101

1銭がやってきた唐明 中世20[日本での出土数の多い中国の銭貨]Chinese Copper Coins in Japan日本の大量出土銭における中国の各王朝の銭貨の割合鈴木公雄『出土銭貨の研究』より作成1位 皇宋通宝北宋6位永楽通宝2位元豊通宝北宋7位天聖元宝北宋「平家物語絵巻」林原美術館蔵3位熙寧元宝北宋8位紹聖元宝北宋memo屋敷に米や銭貨を運び込む様子People Carrying Rice and Coins into a Mansion平清盛に寵愛された妓王の屋敷に米100石と100貫文の銭さし(銭の束)を牛車と馬で運び込む様子が描かれている。 銭貨1貫文=約1,000枚、100貫文=約10万枚4位元祐通宝北宋9位政和通宝北宋5位開元通宝10位聖宋元宝北宋渡来銭のはじまりChinese Coins Begin to Flow in世紀半ば以降、中国から銭貨が大量に流入すると(渡来銭)、人々の間で広く使われるようになった。銭貨は 1枚=1文 の価値をもち、米や絹のように量をはかる必要がなく、少額の取引にも高額の取引12にも使われた。日本で使われた中国の銭貨北宋(960〜1127年)は、中国歴代王朝のなかで最も多くの銭貨をつくった。日本の中世の遺跡からは、北宋の銭貨が多く出土している。銭貨を発行しなかった中世国家中世の日本では国家(朝廷・幕府)が貨幣を発行することはなかった。14世紀前半、後醍醐天皇は紙幣・銭貨の発行を計画していた。しかし、建武の新政の失敗で、貨幣の発行には至らなかった。受け入れられた銭貨Copper Coins Accepted

元のページ  ../index.html#23

このブックを見る