貨幣博物館 常設展示図録
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2めぐり始めた銭銭■■笵■■(鋳型)律すために、米や布などのほかに銭貨でも税を納められるようにするなどの政策を行った。金属のお金のはじまり 15五銖銭紀元前118年中国の円形方孔銭は、秦の半両銭(紀元前3世紀)に始まり、前漢の五銖銭を経て唐の開元通宝で定形化した。重罪とされた中国では古くから天は円形で地は方形と考えられ、銭貨の形に天地が凝縮されていると考えられてきた。円形方孔銭は、日本を含む東アジア世界で19世紀まで使われた。銀銭(Silver)memoWado Kaichin708年銅銭(Copper)開元通宝621年中国の唐を代表する銭貨で、その大きさや4文字の銭文は、その後の東アジアの銭貨の基準となった。◆銭貨の利用を促す主な政策・多額の銭貨を蓄え納めた人に位階を与える・税を銭貨で納めさせる ・旅人に食糧を買わせるために銭貨を持たせるWado Kaichin Molds8世紀富本銭とヤスリ飛鳥池遺跡出土(奈良県)奈良文化財研究所蔵四角い穴は、そこに角棒を通して固定し、銭貨の側面をヤスリで磨くためともいわれる。和同開珎一方で、人々に広く銭貨の利用を促すためにさまざまな政策を打ち出した。708年5月に和同開珎銀銭、同年8月に和同開珎銅銭が発行された。和同開珎は、710年に新しく都となった平城京造営の労賃や資材の購入など、国家プロジェクトの支払いのために発行された。このうち、銀銭は710年に使用が禁止された。◆偽金づくり(私鋳銭)の禁止・銭貨の私鋳は特に   平城京の造営と和同開珎Coins Get into Circulation令国家は、お金の全国的な流通を目指して708(和銅元)年に和同開珎(銭貨)を発行した。国家は、貴族や役人の給料の一部や都の造営にあたる労働者の日当を銭貨で支払った。また、銭貨の流通を促奈良の都 平城京の造営と銭貨銭貨の流通政策国家は、鋳じゅ銭せん司し(銭貨を製造する役所)で銭貨を独占的に生産し、発行を管理した。日本がとり入れた中国の貨幣和同開珎の流通政策Promoting Circulation of Wado Kaichin Copper Coins

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