郡■■司■ 勇■■夫■ Gunji Isao1910年11月東京・神田生まれ1930年1945年1月渋■■澤■■ 敬■■三■■ Shibusawa Keizo東京・深川生まれ1896年8月北多摩郡保谷村に民族学会付属 1936年博物館を開館日本銀行副総裁郡司 勇夫1942年3月〜1944年3月1944年3月〜1945年10月1945年10月〜1946年5月1963年10月逝去第16代日本銀行総裁大蔵大臣(幣原内閣)1972〜1976年『図録 日本の貨幣』執筆・編さん1981年1997年6月 銭幣館に入り、田中啓文氏に師事銭幣館コレクションとともに 日本銀行へ『日本貨幣図鑑』執筆・編さん逝去貨幣博物館と三人の人物 1948(昭和23)年標本貨幣室にて公開開始1982(昭和57)年日本銀行創立100周年金融研究所設立・貨幣博物館設置1985(昭和60)年貨幣博物館 開館9本館会議室にて皇太子殿下(当時)にご説明する郡司勇夫氏銭幣館蔵品搨■■摸■集開館時テープカット標本貨幣室専門家を置くコレクションの受け入れと同時に、日本銀行は当時銭幣館で資料の整理・研究に携わっていた郡司勇夫氏を迎え入れました。これは渋澤総裁の考えによるもので、受け入れた資料の整理・研究を続けられるようにすることが目的でした。文化財は自らの手で守り、 生かすべき1947年5月、銭幣館コレクションの金貨・銀貨がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による接収対象となりました。しかし、郡司氏は「文化財は自らの手で守り、生かすべきであると思う」と力説し、交渉の結果、文化財として公開することを条件に接収を免れることができました。貨幣博物館、開館へ1972〜1976年にかけて『図録 日本の貨幣』(日本銀行調査局編、全11巻)が刊行され、こうした研究成果をもとにして、1985年11月に貨幣博物館が開館しました。その後もコレクションを守り伝え展示していくため、調査・研究を続けています。
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