貨幣博物館 常設展示図録
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田■中■■ 啓■■文■■1884年7月東京・白金生まれ(本名:田中 謙)1906年渋澤 敬三田中 啓文From the Sempeikan to the Currency Museum 銭幣館から貨幣博物館へ1918年1920年1923年1月東洋貨幣研究所銭幣館 開館1950年7月貨幣研究雑誌『銭幣館』を創刊1956年12月逝去1882(明治15)年日本銀行 開業1923(大正12)年銭幣館 開館1944(昭和19)年1945(昭和20)年銭幣館コレクション 日本銀行へ寄贈第二次世界大戦終結8銭幣館で貨幣を手に取る田中啓文氏「永代橋際日本銀行の雪」井上安治画 Tanaka Keibun古銭収集家の同人会東京古泉協会に入会東洋貨幣協会(旧東京古泉協会) 理事兼幹事に就任第3代東洋貨幣協会会長に就任桐箱に入ったコレクション銭幣館収蔵品目録銭幣館展示風景はじまりは一文銭田中啓文氏が子どもの頃、寛永通宝一文銭はまだ1厘として通用していました。お小遣いとしてもらった色々な古い銭を集めたのがはじまりで、小さな古銭家が誕生しました。1923(大正12)年 「銭■■幣■■館■■」開館古貨幣収集・研究家となった田中啓文氏は、自邸内に収集した貨幣や関連資料を保管・展示し、研究活動を行う博物館「銭幣館」を設立しました。銭幣館コレクションは、世界有数の東洋貨幣コレクションで、古貨幣のみならず、日本の貨幣史、経済史を研究するうえで重要な文書や絵画・民俗資料などを幅広く含み、総数は10万点にも及びました。戦禍からコレクションを守る1944年、田中啓文氏は戦禍から守るため銭幣館コレクションを日本銀行へ寄贈しました。こうした背景には、田中氏と日本銀行の結城豊太郎(第15代)、渋澤敬三(第16代)両総裁との交流がありました。将来は博物館を渋澤総裁は、民俗資料の収集・研究家でもあり、文化財の保護に理解が深い人物でした。その手記には、日本銀行に来た時から「日銀に金融図書館と貨幣博物館を併設したい」という夢があったとも書かれています。銭幣館から貨幣博物館へ貨幣博物館と三人の人物

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