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第3代総裁 川田小一郎の素顔]へ戻る

・ゆかりの人びと

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川田小一郎から土方久元宛書簡の写真です。クリックすると拡大します
 
山脇正勝から川田小一郎宛書簡の写真です。クリックすると拡大します
 書簡(川田小一郎から土方久元宛)

年未詳

(検索番号101544)

土方久元は川田と同じ土佐藩郷士の出身で3歳年上。文久3(1863)年の「八月十八日の政変」では三条実美らの七卿落ちに随行した人物です。明治維新後は農商務大臣や宮内大臣を歴任します。書簡は土方の小石川別荘への招待に対して川田が了承する旨を伝える内容です。

 
書簡(山脇正勝から川田小一郎宛)

年未詳

(検索番号101553)

山脇正勝は桑名藩出身で旧幕側として函館戦争まで従軍した人物です。明治維新後は、米国留学を経て三菱グループに入社し、長崎造船所支配人と高島炭鉱事務長を兼務しています。書簡では、長崎の高島炭鉱や中ノ島炭鉱の出炭状況の報告、造船所の多忙な様子などを川田へ率直に語っています。

 
岩崎弥之助から川田小一郎宛書簡の写真です。クリックすると拡大します。
 
岩崎弥之助から川田小一郎宛書簡の写真です。クリックすると拡大します。

書簡(岩崎弥之助から川田小一郎宛)

年未詳

(検索番号101582)

岩崎弥之助は三菱グループ創業者、岩崎弥太郎の弟で2代目総帥として川田とともに同グループを支えました。岩崎は川田の後任として第4代日本銀行総裁に就任しています。書簡は、岩崎宅に同じく経営メンバーであった石川七財と荘田平五郎が訪れるので、川田にも来訪するよう願ったものです。


書簡(岩崎弥之助から川田小一郎宛)

年未詳

(検索番号101583)

岩崎弥之助から川田に宛てた書簡です。内容は、自身の病状が回復に向かっていることを報告し、川田へ引き続き仕事の遂行を依頼したものです。岩崎が不在の間の仕事の進め方などについて、細かなやり取りを交わしていた様子が窺えます。