■ [デジタルアーカイブ>トピック> 第3代総裁 川田小一郎の素顔]へ戻る
明治30(1897)年頃に撮影されたものと思われる川田の妻や子息・子女ら家族一同が揃った写真です。写真には、前列から2列目のむかって左から3人目に妻の美津がおり、最上段にはむかって左から順に三男の豊吉、長男の龍吉、次男の為吉が確認できます。
明治27(1894)年
(検索番号101550)
川田龍吉は川田家の長男で、英国留学を経た後に、三菱製鉄所の機械士として三菱グループに迎えられます。龍吉は後に、北海道にわたり農場経営を展開し、やがて「男爵薯」を普及させます。書簡は義父の叙位が官報に掲載されたことを川田に知らせたものです。
明治26(1893)年
(検索番号101549)
川田豊吉は川田家の三男で、書簡を作成した当時は東京帝国大学工学部機械学科の学生でした。書簡は、京都に滞在している家族の暮らしの様子や豊吉が京都で見聞きしたこと、感じたことなどを東京にいる川田にむけて詳しく知らせる内容となっています。
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