金融研究 第9号 (1981年9月発行)

わが国における国債流通市場の利回り決定メカニズムについて:期待理論によるアプローチ

黒田 晁生、大久保 隆

 本稿は、わが国の国債流通市場における利回り決定メカニズムについて、主として期待理論(expectation theory)の立場から、実証分析を行ったものである。
 わが国の国債流通市場は、昭和52年度のいわゆる国債流動化以降において急速な拡大をとげてきたが、国債の市場価格もそうした流通市場の拡大につれて、自由な変動を示すようになってきた。ところで、国債市況は昭和53年の夏頃から、短期金融市場が依然として緩和状態にある中で、いち早く軟化気配(利回りの上昇)となったあと、昭和54年に入ると6.1%国債を中心に大幅な値崩れ現象を生じた。このため、国債市況の下落要因、国債の銘柄間利回り格差の発生要因等について、金融界、証券界を中心として活発な議論が行われたが、それらの大半はジャーナリスティックな直感論であり、厳密な実証分析による裏付けを欠いていたとの批判は、免れ得ない。
 本稿は、昭和52年度以降における、わが国の国債流通市場の利回り体系(クロス・セクション・データ)と、その時間的変動(タイム・シリーズ・データ)とを主として期待理論によって説明しようとしたものであるが、実証分析において具体的に取上げた問題は、次の2つである。
 1.国債流通市場において、6.1%国債によって代表される長期・低クーポン債の市場が、他の市場から分断されていたのかどうかという問題。
 −純粋期待理論では、残存期間を異にする債券相互間で、金利裁定が十分に働くことにより、利回り曲線(yield curve)は、滑らかな形状になると予想される。これに対して、昭和54年以降の国債市況崩落過程においては、6.1%国債を代表とする長期・低クーポン債の利回りが飛び抜けて高くなることにより、現実の市場で観察される利回り曲線には、大きなコブ(hump)を生じることとなった。このように最近における経験は純粋期待理論の妥当性を否定し、長期・低クーポン債の市場分断の存在を支持しているかに見える。本稿では、そうした市場分断の存在が、わが国独特の単利・最終利回りの採用に起因するものではないかと考え、より一般的な利回り概念を用いた場合の利回り曲線の形状を見ることにより、わが国の国債流通市場における期待理論の妥当性をさぐることとした。また、ModiglianiとSutchの特定期間選好仮説に則った形で、国債の残存期間別・クーポン別構成比が利回りの決定要因として統計的に有意であるか否かを見ることにより、市場分断の直接的な検証を試みた。
 2.昭和53年の夏以降において、長期債の利回りが短期金利に先行して上昇したのは何故かという問題。
 −伝統的な期待理論では、長期金利と短期金利との間にいわゆる期間構造式として安定した関係があり、しかも短期金利から長期金利への波及関係があるとされている。ところで、昭和53年の夏以降の経験では短期金融市場の緩和状態が続く中で、長期債利回りの上昇が始まったが、そうした現象は伝統的な期間構造式では説明できない。このため、長期債の利回り上昇は、長期債の供給過多によってもたらされたとする市場分断仮説が、ここでも支持されるかに見える。本稿では、先行きのインフレ期待が名目金利を上昇させる効果、すなわちフィッシャー効果が、金融緩和下における長期債利回りの上昇をもたらしたのではないかと考え、フィッシャー効果を明示的に導入した期間構造式を計測した。また、期間構造式に長期債の需給要因を示す変数を加えた場合に、それが統計的に有意であるか否かを見ることにより、市場分断仮説の直接的な検証を試みた。
 本稿での実証分析の結果によれば、わが国の国債流通市場においても期待理論がかなり良く妥当している一方、市場分断仮説は統計的にみて支持されないことが示された。
 1.クロス・セクション・データによる実証分析(利回り曲線の計測結果)
 −東証上場相場(52/3月末から55/3月末までの各四半期末)を用いての利回り曲線の計測結果をみると、単利の最終利回りの場合は、昭和54年度に入ってから説明力が著しく悪化したが、複利の最終利回り、及び実効利回りを採用した場合には、同時期における利回り曲線の計測結果は、かなり改善された。したがって、わが国独特の単利の最終利回り概念を離れて、複利の最終利回りないしは実効利回りを基準にすれば、現実の国債利回りの分布を期待理論の想定するような滑らかな利回り曲線によって、かなり良く近似できると言える。
 一方、国債利回りの決定要因として、残存期間別・クーポン別構成比を利回り曲線の計測式に加えた場合の結果をみると、イ.単利の最終利回りの場合には、同変数は有意であるが、そのパラメーターは極めて小さい、ロ.また、複利の最終利回り、実効利回りの場合には、同変数は有意性を欠く。したがって、ここでの計測結果による限りにおいては、市場分断仮説は支持されない。
 2.タイム・シリーズ・データによる実証分析(期間構造式の計測結果)
 −(a)東証上場国債・最長期物利回り、及び(b)同・八分利国債利回り(残存期間約7年)について、それぞれ単利及び複利の最終利回りを用いて、フィッシャー効果を明示的に導入した形での期間構造式を計測した。その結果をみると、(a)について単利の最終利回りを用いた場合を除く3つの計測式はそれぞれかなり良好であり、わが国の国債流通利回りの時間的変動は、フィッシャー効果を含めた形での期待理論によって、かなり良く説明しうるものであることが示された。また、計測結果によれば、長期国債の利回り決定において、フィッシャー効果が支配的な影響を与えているとみられ、金融緩和下において長期国債利回りの上昇をもたらしたものは、先行きのインフレ期待であることを、ここでの実証結果は示唆している。
 一方、期間構造式に長期国債の残存期間別需給要因を示す変数を説明変数として加えた場合の計測結果をみると、(a)及び(b)のいずれについても、単利及び複利の最終利回りの場合とも同変数の係数は統計的に有意でなく、ここでも市場分断仮説は支持されなかった。


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