非不胎化介入論の「錯覚」

[『週刊東洋経済』(2000年1月15日号)への寄稿]


日本銀行金融研究所長     翁  邦雄
日本銀行金融研究所調査役 白塚 重典

要点:

1. ゼロ金利政策の下では準備預金と短期国債はほぼ完全に代替的になるため、介入を不胎化するか否かの区別は無意味になる。
2. 期待への影響を考えても、ほかに巨額の資金移動がある一方で介入額は開示できないため非不胎化のアナウンスには問題が多い。
3. 景気の自律的回復には構造問題の解決が不可欠であり、金融政策の役割はその円滑な実行のサポートにある。

目次:

浜田論文3つの主張への反論
主張1:「内需の回復による円高防止のための介入が必要である」について
主張2:「為替介入を不胎化してしまうと介入の有効性が殆ど失われてしまう」について
主張3:「非不胎化介入により円高が一方的に進まないとの期待を生み出すことができる」について
行き過ぎた円高への代替的処方箋
柔軟な金融政策の運営とその限界
新世紀に向けての金融政策の在り方




 浜田宏一・イェール大学教授は、『週刊東洋経済』11月13日号の論文で、非不胎化介入による一段の金融緩和を提言されている。
 浜田氏の議論は、三つの主張に集約される。@変動相場制のもとでは、内需の回復が進むと円高が生じ、外需を抑制して景気(回復)の芽を摘む可能性があるため、円高防止の介入が必要。A介入を不胎化してしまうと介入の有効性がほとんど失われるため、景気のいかんによっては、日本銀行は短期金融市場が乱されない範囲において不胎化を控えるべき。B日銀が不胎化なしの介入をする可能性があると考えれば、円高が一方的に進まないとの期待が生まれるので、介入の非不胎化が必要。
 しかし、浜田氏の議論には、幾つかの重要な見落としがある。本稿では、浜田氏の上記の三つの主張を手掛かりとして、金融政策が直面している問題を再検討してみたい。


浜田論文3つの主張への反論

主張1:「内需の回復による円高防止のための介入が必要である」について

 浜田氏は「変動相場制下で内需の回復が進むと円高が生じ、外需を抑制して景気の芽を摘む可能性がある。そこで円高防止の介入が必要」とし、これに関連して、「国の経済水準を左右する限りにおいて、為替レートは日銀の大きな関心の的でなければならない」と指摘している。
 確かに為替相場の動向は重要である。日銀も、繰り返し、為替相場は重要な判断材料であり、その変動の影響は、当然、政策運営の基礎となる金融経済情勢の判断に織り込まれることを説明している。
 ただし、一般的には為替相場が変動したからといって介入が必要になるとはいえない。すべての国が、為替相場の変動を介入で防いでいたのでは変動相場制は成り立たない。介入が正当化されるのは、為替相場がファンダメンタルズから乖離して明かに行き過ぎ、それが日本経済および世界経済にとってマイナスと主張できる場合のみであり、その時々の円相場がそうした状況に当たるかどうかはそれほど自明なことではない。
 しかし、浜田氏の論旨を追うために、とりあえずこの点を棚上げにして、「行き過ぎた円高」が生じ、介入が行われたとしよう。

主張2:「為替介入を不胎化してしまうと介入の有効性が殆ど失われてしまう」について

 浜田氏は、「為替介入は不胎化してしまうと、まるで右手のやったことを左手が打ち消しているように」有効性がほとんど失われると主張している。この議論は幾つかの意味で不適切だと思われる。
 まず、浜田氏のよって立つマンデル=フレミング・モデルでは、変動相場制下で景気が回復すると、金利上昇圧力が生じ、このために円高になる。したがって、より緩和的な金融政策で金利上昇を食い止め、円高を防ぐ、という論理構造になる。しかし、日銀の「ゼロ金利政策」は、金利上昇圧力が働いても金利をゼロに保つ金融調節が行われることを意味するから、「左手が介入効果を打ち消している」という説明はできない。
 そのためか、浜田氏は、論文後半では、マンデル=フレミング・モデルの中心的メカニズムである金利の変化から、量的変数の変化に論点を移す。「為替(非不胎化)介入が基本的に有効であるのは、そもそも両国のマネー・サプライの相対比率が変わるからである」というのが新たな論点である。
 一連の主張の背後にある浜田モデルの全体像は明確ではないが、論文から推測すると、一般均衡モデルを想定し、ベース・マネーを増加させた場合、ゼロ金利下では金利は変動しないから資産市場の均衡を回復するため円安が起きると考えているか、部分均衡モデルを想定し、為替相場は長期的には購買力平価を反映するため、ベース・マネーを増加させれば、現在(および将来)のマネー・サプライが増加し円安になると考えているか、のいずれかと思われる。
 しかしこの二つの議論はゼロ金利下ではいずれも正しくない。これは十分な流動性供給の結果、短期金利がゼロになっている場合、短期国債とベース・マネーとはほぼ完全に代替的(保有者にとって両者はほぼ無差別)になっていることによる。
 まず、その含意を一般均衡モデルに即して説明しよう。介入の不胎化とは、中央銀行が、介入によって供給されたベース・マネーを短期国債などの売却によって吸収するオペレーションである。しかし、ゼロ金利下では、両者はほぼ完全に代替的である。資産市場の一般均衡モデルでは、ほぼ完全に代替的な二つの資産を入れ替えても均衡は変わらないから、ゼロ金利の下では非不胎化介入と不胎化介入の均衡は同じになる。つまり、不胎化介入でベース・マネーを増やしても為替相場の均衡値は変化しない。
 二つめのアプローチでも結論は同じである。一般均衡に影響がない以上、非不胎化介入でベース・マネーが増えても、マネー・サプライが増加しない筈だからである。しかし、期待を通じる効果は存在しうるので、その点については後述する。
 「ベース・マネーだけ増やしてみても、ゼロ金利に近いところでは金融機関の準備として保蔵されるので無意味である」という日銀の主張を、浜田氏は「ポリシー・ミックスの理論を理解しないもの」、として一蹴されているが、浜田氏の立論は、ゼロ金利政策の上記のような本質を見落としていると思われる。

主張3:「非不胎化介入により円高が一方的に進まないとの期待を生み出すことができる」について

 非不胎化介入の有効性を主張するもう一つの論拠は期待への影響である。浜田氏は「日銀が不胎化なしの介入をする可能性があると市場参加者が考えると、円高が一方的に進まないだろうとの期待がうまれ」るとしている。
 しかし、金融市場への巨額の資金流出入のうち為替介入だけを取り出すことにどれだけの意味があるのだろうか。図は96年以降の金融市場への資金の流出入要因を描いたものである。介入額は事後的にも公表されないため、財政要因のうち外為会計資金の動き(黒抜きで表示されている)で代理させているが、これで見る限りむしろランダムに動いており、円高圧力が話題になった99年9月でも1兆円程度で、図表にある金融市場全体の資金の動きや、ベース・マネー(60兆円程度)、マネー・サプライ(M2+CDで600兆円程度)に比べ、微々たるものにすぎない。


 前節の均衡モデルの議論から容易に予想できるように、現在、「超過準備」の大半は短資会社の口座に滞留し、ベース・マネーからマネー・サプライへの波及経路は機能していない。このため、近い将来にベース・マネーとマネー・サプライが比例的に増えるというマネタリスト的な展望は現在開けていない。しかも、1兆円という規模はマネー・サプライの0.17%にすぎず、遠い将来にこの数倍のマネー・サプライの増加につながると予想したとしても、為替相場に大きなインパクトを与えるとは考え難い。
 このように、浜田氏が提言する非不胎化介入による円高期待抑止という議論は理論的根拠に乏しい。浜田氏はクルーグマン教授による「日本列島インフレ論」を「錯覚を利用した政策」と一蹴しているが、浜田氏の「非不胎化介入による円高期待阻止論」も、「錯覚」に極めて大きく依存しており、一時的錯覚を超えた効果を持つとは思えない。
 しかし、もう一歩踏み込んで、市場の錯覚に期待し、公衆の心理に働きかけるため、あえて介入の非不胎化をアナウンスすることを検討してみよう。実務的に直ちに直面する問題は、日本では介入規模が事後的にも全く公表されていない、ということである。この点、例えば、米国では、為替介入オペレーションの実施日、通貨、金額、実施の背景等といった情報をまとめたレポート(Treasury and Federal Reserve Foreign Exchange Operations)が四半期ごとに作成され、翌々月上旬に公表されている。日本では、為替介入は大蔵省の所管であり、代理人である日銀がその実態を勝手にディスクローズすることはできない。つまり、非不胎化をアナウンスするといっても介入についてのディスクローズが進んでいないため、実際に何を行っているのか日銀はアカウンタブルでありえない。
 このように浜田氏の提言は、期待への影響を含めて考えても、全体の大きな資金移動のごく一部でしかない為替介入の影響を過大視しているだけでなく、日銀の所管でなく実施額すら公表できないオペレーションをアナウンスすることを求めている点で金融政策のアカウンタビリティと両立しない、など大きな欠陥を抱えた提案であると思われる。


行き過ぎた円高への代替的処方箋

 浜田氏の非不胎化介入論を退けた場合、かりに、「行き過ぎた」円高が生じデフレ・スパイラルへ陥る懸念が台頭してきたときにどうするのか、という問題は残る。しかし、もし、行き過ぎた円高が明確に識別できるのであれば、理論的な答えはむしろ簡単である。行き過ぎに歯止めをかけるために、行き過ぎでない為替相場水準で無制限にドルを購入することをアナウンスすればよい。政府はドル買い介入のための円資金を短期政府証券の発行により調達でき、ゼロ金利政策がとられている限りは、政府はほぼゼロの金利コストでこうした政策を実行できる。
 重要なポイントは、為替政策のレジーム・チェンジについて市場参加者の信認を獲得することである。大蔵省がこうした徹底介入を本気で実行すると市場参加者が信じれば、実際には大量の介入を行なわなくても、円高は止まるだろう。そのためには、金融政策の運営を変える必要はなく、介入政策の方針を変えればよい。ゼロ金利政策と無制限介入の組み合わせは行き過ぎた円高への対処案に十分なりうる。
 こうした議論に対する当然の疑問は、ファンダメンタルズからの乖離が明確に判断できるのか、また、日本がフロアの設定という形にせよ変動相場制から大きく離れるという選択肢が現実的なものか、という点である。確かに、主要先進国における変動相場制が定着して久しい今日、為替レートに円高に対するフロアを作る、という政策は壮大な実験であることは間違いない。しかし、かりに「行き過ぎた円高」を明確に定義できるとすれば、浜田氏が提言されている処方箋より、はるかに確実な理論的根拠を持っていると思われる。


柔軟な金融政策の運営とその限界

 次に、介入の問題を離れて、日本の金融政策について議論してみたい。
 浜田氏は、これまでの日銀の金融政策運営は、「あらゆる金融緩和への圧力に抵抗し」てきた、としている。しかし、この理解は事実に反する。
 実際、99年2月以来採られているゼロ金利政策は、事前には理論的な可能性はともかく、極めて非現実的と考えられていただけに、全く予想されていなかった。しかし、日銀は、あえてそうした未踏の領域に踏み込む決定を行った。また、それ以降も、金融・経済情勢の変化に対応して、市場の期待形成に積極的に働きかけてきたし、潤沢に流動性を供給する努力を行ってきている。
 もっとも、日銀のこれまでの思い切った金利引き下げや、この間の財政拡大は、まだ日本経済を確実に成長軌道に復帰させるだけの効果を発揮しえてはいない。ここまで回復に手間取ったのはなぜか。この問いに対する直接的な答えは、短期的な景気刺激を狙ったマクロ政策では対処できない大きな構造要因が存在していた、という点にある
 我が国経済が直面してきた最大の構造問題は、不良債権問題、すなわち、経済全体としての自己資本の毀損に伴う対応能力の低下である。貸し手である金融機関は自己資本の不足に直面した結果、新たなリスク・テイクに慎重にならざるをえなかった。その一方で、借り手である企業も自己資本の不足から、新規の設備投資や研究開発に慎重にならざるをえなかった。その結果、金融機関貸出が伸び悩む状況が長期化している。
 日銀の思い切った金利引き下げや果断な最後の貸し手機能の発動は、デフレやパニック的な状況を回避することには成功した。しかし、金融政策は構造政策や構造調整を代替することはできない。むしろ、思い切った金融緩和は、その分、金融機関が真剣なリストラ努力を行なうのを先延ばしする副作用を伴った可能性も否定できない。
 この間、事態の深刻さに対する国民の認識が遅れ、金融機関の破綻処理に関する法律の整備や公的資本注入に対する支持を得ることは非常に長い時間を要した。中央銀行にとって悩ましいのは、構造政策や構造調整の実行が遅れていても、現実に深刻なデフレ・スパイラルの危険に直面すれば、これを防ぐ責任があるということである。
 実際、経済が大恐慌的なデフレ・スパイラルの入り口に立たされれば、中央銀行は大きな副作用をも認識したうえで、考えられるあらゆる手段を発動してこれを防止するよう努めるであろう。その場合には、通常の手段の限界を超えて、劇的に大量の資金供給を行うことも真剣に検討されるかもしれない。しかし、こうした政策手段の発動は、財政規律を失わせるリスクをはらむなど国民経済的コストは極めて大きい。
 現在、日本経済は、民間需要の自律的回復のはっきりとした動きは依然みられていないものの、足元、輸出や生産を中心に下げ止まりから持ち直しに転じている。したがって、真のデフレ・スパイラル・リスクに直面しない限り浮上しないような副作用の大きい手段を検討すべき局面とは全く思われない。


新世紀に向けての金融政策の在り方

 浜田氏は、論文を「新世紀の日銀は守り一辺倒の姿勢から、多くの政策手段を手元に置いて、それを臨機応変に使い分け、時には公衆の心理にまで働きかけるような能力を持つ中央銀行に生まれ変わってほしい」との文章で締めくくっている。
 日銀が「守り一辺倒の姿勢」であるとの指摘には、我々は全く同意できないが、浜田教授がこうした印象を持たれたとすれば残念なことである。日銀は、金融・経済情勢の変化に対応して、極めて潤沢に流動性を供給する努力を行ってきた。しかし、金融政策は万能薬ではない。日本経済の直面している問題に応じ、政府と日銀はそれぞれに与えられた手段と責任に応じて最善を尽くすしかないであろう。
 金融政策をより有効に運営し、その責任をよりよく果たすために、日銀は、金融政策手段に磨きをかけるとともに、金融政策の運営上、短期的には与件となるさまざまな構造問題に対し、的確な処方箋を作成し、実行に向けて働きかけていくことが重要であろう。
 その意味でも、一時的錯覚に基づく政策効果に安易に頼るのではなく、政策オプションの有効性と限界について率直で建設的な対話を行っていく必要があると考える。そうした対話の一環として、浜田氏をはじめ、学界・言論界の方には、日銀が付託された責任を政策面で全うするために最善の努力を払っているかどうか、外部から厳正に検証していただき、引き続きご批判とご助言を賜ることを期待したい。



(脚注)
1 浜田宏一、「日銀の不胎化政策は間違っている」、『週刊 東洋経済』1999年11月13日号、72〜76頁

2 なお、為替介入の個別情報が開示されなくても、為替介入を実施すると介入当局が保有する外貨準備が変動するため、外貨準備の変動要因についての情報開示が進むことで、為替介入の動きがある程度推測可能となる。この点、IMFでは外貨準備についてより包括的かつ詳細で頻度も高い情報開示を実現するための具体的な公表様式を策定しており、来春以降、この様式に従って先進国や一部新興市場国で情報開示が進むことが予定されている。

3 金融政策と構造問題を巡る論点については、山口泰「金融政策と構造政策:日本の経験」(1999年11月2日、http://www.boj.or.jp/press/koen062.htm)の議論が有用である。