日本銀行金融研究所 貨幣博物館
貨幣研究に関する論文の要旨紹介

明和期水戸鋳銭座の経営
−組織と労働工程を中心に−

『社会経済史学』第72巻第2号所収、2006年

日本銀行金融研究所企画役 藤井典子
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要旨
 本稿は、18世紀後半に、水戸藩が寛永通宝(鉄一文銭)を鋳造した水戸鋳銭座(1768年〜1777年)の経営実態を解明するために、組織の特徴と職人らの労働条件や工程管理手法を中心に分析・考察したものである。
 水戸鋳銭座は、開設当初に約1000人もの役職人を雇用し、鋳銭益金の確保を目的として設立された大規模な組織であった。鋳銭は水戸藩領内で実施されたが、座主は江戸に常駐し金主らの協力を得て経営判断を行い、職人・素材・資金のいずれの経営資源も江戸市場から調達していた。
 座主は経営判断の前提として、収支がバランスする見積書を綿密に作成していた。今回、この見積書を分析することで、鋳銭益金の算定方法や鋳銭座の収益構造を明らかにできた。しかし、見積書には出資金の原資の借入や利息負担についての情報はなく、資金調達や経営層の経済的利得の実態は見積書のみでは解明しきれない点も浮き彫りになった。
 水戸領内で行われた鋳銭の労働工程は、「鎔解―鋳銭―仕上」の三工程に分かれていた。労働工程を規定した仕様書や見積書に記された給与体系を分析すると、熟練・非熟練職人の技術レベルや報酬には、工程ごとに大きな違いがあったことが判明した。高度な鋳物技術を必要とする工程には、普請職人の上限に相当する賃金待遇を受けた熟練職人が一部雇用されていた一方、単純労働である研磨作業を行う仕上工程や日雇いは低い報酬で多数雇用されており、江戸に諸国から流入していたその日暮しの人々がその供給源であったことも、「過去帳」から確認できた。
 多種多様な人々が働く労働工程は、実務経験のない経営層には直接管理し得なかった。このため、各工程の責任者である熟練職人の長に現場管理をゆだね、被雇用者の属する職種における慣行や職業意識も尊重して労働意欲を確保する経営姿勢をとった。他方で、経営層が雇用した役人が、日々の鋳造実績や在高を日々勘定経理し、これらを通じて、経営判断を行っていく現実的な経営手法がとられたと考えられる。

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