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| 『金融研究』巻頭エッセイ 第2シリーズ 「日本の紙幣」 |
| 2−10 国立銀行紙幣 |
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国立銀行紙幣(旧券・第一国立銀行1円券)表裏
明治6(1873)年。表面は上毛野田道(かみつけののたみち)の蝦夷(えみし) 征伐の図、裏面は蒙古襲来の図。 第一国立銀行は、国立銀行条例が発布されて最初に設立された銀行。 |
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明治政府はアメリカの制度に範をとり、明治5(1872)年に国立銀行条例を公布して、政府発行の不換紙幣の回収整理、兌換制度確立、殖産興業資金の供給を目的とした国立銀行制度の導入を図った。国立銀行はnational bankの訳であるが、どちらも通常の意味での「国立」の機関ではなく、国の法令に基づいて設立された民間の銀行である。 国立銀行が発行した紙幣は政府によって供給され、基本的なデザインは各銀行とも同じであったが、発行元を識別するための銀行名、頭取・支配人名、印鑑等は追加的に印刷された。当初発行された国立銀行紙幣(旧券)の額面は二十円、十円、五円、二円、一円の5種で全て同じ色、同じ大きさである。政府がアメリカの会社に製造を依頼したため、当時のNationalBank紙幣とデザインが極めて類似している。また、明治10年からは、図柄、寸法が一新され、一円と五円の2種が発行された(当初から発行されていた旧券と区別するために新券と呼ばれている)。新券は国内で製造されたが、印刷製造が間に合わなかったこともあり、旧券も引き続き発行された。 当初の国立銀行条例では、各銀行は政府紙幣を大蔵省に納付して同額の公債証書を受け取り、それを引当てとして大蔵省から同額の銀行紙幣を受け取るという仕組みで、資本金の60%相当までの銀行券(国立銀行紙幣)の発行が認められた一方、同じく40%相当は兌換準備として正貨(金銀貨)で保有することが義務づけられていた。このように銀行券の発行条件が厳しかったことから、当初の条例に基づいて設立された国立銀行は第一、第二、第四、第五の4行にとどまった。これらの銀行は、銀行券発行のほか、預金・貸出等の銀行業務を営んでいたが、預金は官公預金が大半を占めた一方、放漫な貸出をおこなっていた銀行もあったといわれている。このため、一部の出資元企業の経営破綻を契機とした官公預金の引揚げや、発行紙幣の兌換請求の増加などから極度の経営難に直面することとなった。 このような状況のもと、政府は明治9(1876)年8月に条例を改正し、正貨兌換の中止(政府紙幣を引換準備とさせる)、発行限度の引上げ(資本金の80%相当)などをおこなった。またこの改正で、同年8月に大量に発行された金禄公債(華・士族の家禄制度を全廃する代りに、交付された公債)等の国債を国立銀行紙幣の引当てにできることとなった。これを受けて、華・士族の出資による特大規模の第十五国立銀行が設立されたほか、各地で国立銀行の設立が相次ぎ、明治12(1879)年末には153行の国立銀行が設立されるに至った。また、この改正によって旧条例下で設立された4行は経営危機から脱し、改正後の条例を根拠法とする国立銀行として銀行免許を新たに交付された。なお、これら国立銀行の多くはその後普通銀行に転換するが、現在の第四銀行、七十七銀行などの名称は国立銀行時代の名残である。 国立銀行紙幣は、明治16(1883)年の国立銀行条例の改正により兌換銀行券である日本銀行券に置きかえられることとなり、これ以後漸次回収され、明治32(1899)年に、政府紙幣とともに通用停止となった。こうして流通紙幣は日本銀行券に統一された。 |
| [大貫摩里、日本銀行金融研究所研究第3課] 『金融研究』第19巻 第4号, 日本銀行金融研究所, 2000年 |
| 【参考文献】 明石照男、鈴木憲久『日本金融史』第1巻、東洋経済新報社、1958年 朝倉孝吉『新編日本金融史』、日本経済評論社、1988年 加藤俊彦、大内力編『国立銀行の研究』、勁草書房、1963年 第一銀行『第一銀行史』上巻、1957年 日本銀行調査局『図録日本の貨幣』第7巻、東洋経済新報社、1973年 日本銀行調査局『日本金融史資料明治大正編』第3巻、大蔵省印刷局、 1957年 |