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『金融研究』巻頭エッセイ 第2シリーズ 「日本の紙幣」
2−1 山田羽書 (やまだはがき)  −最初の紙幣−

わが国最古の紙幣「山田羽書」
慶長年間(1600年頃)

山田羽書

 金・銀などの貴金属とは異なり、素材価値の低い「紙」が貨幣として使用されるためには、人々がその紙に対して等しく価値を認め、またその価値を保証する発行主体が存在することが必要である。
 紙は2世紀に中国で発明されたと伝えられるが、紙幣の起源もまた中国にあり、10世紀末に四川省で鉄銭の代わりに使われた交子が世界で最初の紙幣といわれている。ヨーロッパにおける最初の紙幣としては、17世紀前半のイギリスで、金運搬にかかるリスクを回避するため金匠が発行した金匠手形(Goldsmith Note)が知られている。
 わが国における最初の紙幣は、イギリスよりは若干早く、1600年頃に伊勢山田地方で発行された山田羽書にさかのぼる。山田羽書は伊勢神宮の神官であった山田御師(御師は「御祈祷師」の略称。祈願者の代理として祈祷奉賽を行う神職で、商人も兼ねた)によって発行されたもので、銀貨と引き換える旨の文言が記されている。額面が1匁、5分、3分、2分と定額・小口であることから、切り遣い・秤量のうえ用いられた銀貨の不便さを解消するために発行され始めたと考えられている。なお「羽書」の名称については、当初は端数金額の書付を意味する「端書」が用いられていたが、後に円滑に流通するようにという意味を込めて「羽書」と書かれるようになったとする説がある。
 山田羽書の影響を受けて、宇治、松坂、射和、大和下市、摂津平野郷などの周辺地域においても有力商人による紙幣の発行がみられたが、幕府貨幣の浸透や大名が発行した藩札の普及に伴い、多くは短命に終わっている。
 これに対し、山田羽書の発行は、山田地方特有の自治的行政機関であった三方会合所の管理下に置かれるようになり、その後幕政の伸長とともに幕府も次第にこれに関わるようになった。幕府は、直轄領では正貨(金貨、銀貨、銭貨)以外の使用を禁じていたが、神領としてその保護下にあった伊勢山田地方では、山田羽書が江戸期を通じて公認されていた点は興味深い。
 伊勢山田という地域限定ながら、山田羽書は人々より信認を得て流通し続けた。その信認を支えた大きな要因は、整備された発行制度一発行主体や発行責任の明確化、発行限度額の設定、相応な発行準備など−にあったと考えられる。18世紀前半になると、7年ごとに羽書の改札(新旧札の交換)も行われるようになり、これが発行高管理をさらに厳格にしたのみならず、羽書の認証性を高め偽造防止にも効果を発揮したと考えられている。
 山田羽書は明治維新後も引き続き発行されたが、新政府による明治4(1871)年の藩札処分に合わせてその歴史を閉じた。

[大貫摩里、日本銀行金融研究所研究第3課]
『金融研究』第17巻 第5号, 日本銀行金融研究所, 1998年

 

【参考文献】
宇治山田市役所『宇治山田市史』上巻、1929年
山口和雄『貨幣の語る日本の歴史』、そしえて、1984年
日本銀行調査局編『図録日本の貨幣』第2巻、5巻、6巻、東洋経済新報社、1973年、 1974年、1975年
妹尾守雄「わが国紙幣制度の源流について−とくに伊勢国山田羽書三百年の歩み −」、日本銀行調査局『調査月報』昭和55年2月号

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