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| 『金融研究』巻頭エッセイ 第1シリーズ 「貨幣の歴史」 | ||||
| 1−2 古代の銅貨 | ||||
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| 万年通宝(760) 直径25〜27mm 重量約5g |
隆平永宝(796) 直径23〜28mm 重量約3g |
承和昌宝(835) 直径20〜23mm 重量約2g |
饒益神宝(859) 直径19〜20mm 重量約2g |
乾元大宝(958) 直径18〜20mm 重量約3g |
皇朝十二銭 708年(和銅元年)の和同開珎鋳造以降約250年の間に、律令政府(朝廷)が発行した12種類の銅貨を「皇朝十二 銭」と呼ぶ。写真はそのうちの5種。 |
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708年(和銅元年)の和同開珎鋳造以降約250年の間に律令政府(朝廷)は銅貨12種、銀貨2種、金貨1種を発行した。これらは朝廷が発行した銭貨との意味で「皇朝銭」と総称され、そのうち銅銭12種が「皇朝十二銭」と呼ばれている。 和同開珎発行から52年後の760年(天平宝字4年)に、最初の改鋳が行なわれ、万年通宝が発行された。この改鋳では和同開珎10枚と万年通宝1枚の価値が等しいものと定められたが、この比率は唐において「開元通宝」を「乾封泉宝」に改鋳したときの例に倣ったものである。 このような新貨の価値に関する定めはその後の新貨発行の際にも踏襲されたが、こうした発行政策は都の造営や蝦夷征討といった律令政府による多額の出費とも関係があったといわれている。 原材料の銅が不足してきたため皇朝十二銭は新貨発行につれて大きさも材質も著しく劣悪化していった。写真の貨幣は、皇朝十二銭のうち特徴のある5種をとりあげたものである。隆平永宝は形状に大小の差が著しく、残存する銭の色も黒変している。饒益神宝はさらに小型化し量目が和同開珎の半分以下のものも多い。饒益神宝では、成分の 半分が銅で残りが鉛その他であった。皇朝十二銭最後の乾元大宝では鉛分がほとんどのものもあり極めて劣悪化している。銭一文で買える米の量で見ると8世紀初は約2kgであったが、9世紀中頃にはわずか10〜20gとなるまで貨幣の価値は下落した。平安時代末期の歴史書である日本紀略では、987年(永延元年)に十五の寺院で80人の僧が7日間にわたり銭貨の流通を祈願したとの記述があるが、かかる事実が示すとおり劣悪化した皇朝銭は使用されなくなり、やがて朝廷の弱体化もあって皇朝銭の鋳造は停止された。 |
| [吉岡素子、日本銀行金融研究所研究第3課] 『金融研究』第15巻 第2号, 日本銀行金融研究所, 1996年 |
| 【参考文献】 栄原永遠男『日本古代銭貨流通史の研究』、塙書房、1993年 藤井一二『和同開殊一古代貨幣事情をさぐる』、中央公論社、1991年 日本銀行調査局編『図録 日本の貨幣』第1巻、東洋経済新報社、1972年 |