◎ 『金融研究』巻頭エッセイ ◎
BACKWARD エッセイ
戻る エッセイ目次へ

『金融研究』巻頭エッセイ 第1シリーズ 「貨幣の歴史」
1−13 一円金貨・一円銀貨  −円の誕生−
万延二分金
万延二分金(1860年)
縦18mm×横11mm
重量3.0g、品位22%
含有純金量0.7g

一円金貨
一円金貨(1872年)
直径14mm
重量1.7g、品位90%
含有純金量1.5g

二十円金貨

二十円金貨(1871年)
直径35mm
重量33.3g、品位90%
含有純金量30.0g
貿易用一円銀貨

貿易用一円銀貨(1871年)
直径38mm
重量27.0g、品位90%
含有純銀量24.3g
 明治新政府は、明治4(1871)年に「新貨条例」を公布して、金本位制と通貨呼称「円」の採用を決定した。 旧貨「両」と円を結びつけるうえで重要な役割を演じたのは、幕末の小額金貨、万延二分金であった。一方、 当初は本位貨幣として準備された一円銀貨は、主に貿易決済専用の貨幣として使用された。

-------------------------------------------------------------------

 明治維新直後のわが国では、明治新政府が発行した太政官札や藩政府による藩札のほか、徳川時代の金・銀・銭貨など、多種多様な紙幣・貨幣が流通していた。明治3(1870)年10月、明治政府は、貨幣制度を統一して近代国家としての基盤を整えるため、単一通貨呼称「円」と銀本位制の採用を内定した。銀本位制を選択した理由としては、日本の主要な貿易相手先であるアジア諸国の多くが銀本位制下にあり、銀貨が決済手段として広く利用されていたという事情を指摘できる。そして同年11月には、国際的に通用していたメキシコ・ドル銀貨(洋銀)とほぼ同一の重量・品位をもつ一円銀貨の・鋳造を開始した。銀本位制のもとでの新旧貨幣間の関係は、一円銀貨100円=洋銀100ドル=一分銀311枚(77両3分)、したがって1円=ほぼ3/4両となるはずであった。
 ところが、明治4(1871)年5月に公布された「新貨条例」においては、金本位制が採用された。この半年の間に政策が変更された主たる要因は、日本も欧米主要国と歩調を合わせて金本位制を採用すべきという、渡米中の伊藤博文の建議に呼応した措置と解釈されることが多い。しかし、伊藤の提案が正当化された背景として、両から円への転換をできるだけ円滑に行おうという政府の周到な配慮が働いていた点にも着目する必要がある。
 銀本位制を採用した場合、国内では上述のとおり100円=77両3分(ほぼ4対3)という比率で新旧貨幣の換算を行わなければならず、非常に煩雑である。また、当時の様々な通貨の中で実質的に本位通貨として機能していたのは、幕末の金貨流出に対応して大量に発行された万延二分金であった。こうした事情に鑑み、明治政府は、一分銀311枚(77両3分)と二分金200枚(100両)が地金価値で評価して等価(金銀比価約1対15)とみなしたうえで、これらを二分金200枚(100両)とほぼ同じ素材価値を持つ一円金貨100円、さらに洋銀100ドルと等価であると定めた(つまり一円金貨100円=洋銀100ドル=二分金200枚(100両))。その結果、国内的には1円=1両と、新旧通貨単位を単に読み替えるだけで新通貨体制に移行できるうえ、対外的にも国際水準並みの金銀比価が達成できるのである。
 既に鋳造されていた一円銀貨については、貿易決済手段として開港場における無制限通用が認められたほか、一般取引においても双方が承諾すれば利用することができた。さらに明治11(1878)年、一円銀貨は国内でも無制限に通用する本位貨幣と定められ、この時点でわが国は金銀複本位制へと移行することになる。
[大塚英樹、日本銀行金融研究所研究第3課]
『金融研究』第17巻 第4号, 日本銀行金融研究所, 1998年
【参考文献】
日本銀行調査局編 『図録日本の貨幣』第7巻、東洋経済新報社、1973年
三上隆三 『円の誕生一近代貨幣制度の成立(増補版)』、東洋経済新報社、1989年
山本有造 『両から円へ』、ミネルヴァ書房、1994年

TOP


copyright