◎日本銀行金融研究所 貨幣博物館◎
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貨幣の散歩道

第54話 エレクトロンと電子マネー

 約1年にわたった連載も、本日で最終回を迎えることになった。長い間、興味をもって読み続けていただいた読者の皆様に感謝したい。最後に、近年脚光を浴びている電子マネーが実は古代西洋の貨幣と関連していることを指摘して、貨幣の散歩道の漫遊を終わることにしたい。
 貨幣は火や言葉の発明と並ぶ人類の叡智であり、人類による経済活動とともに発展してきた。財物の交換に際しては、その交換比率=価格を決めなければならない。米と魚という2種類の財物の交換取引であれば、価格はひとつで済む。しかし、交換比率は各財物ごとに取引対象財の数だけ存在するため、取引範囲の拡大とともに考慮すべき価格数は加速度的に増大する。このような煩雑さを避け、交換取引の円滑化を図るための価値基準として登場したのが貨幣であり、当初は貝殻、石、穀物など各共同体において利用価値の高い、あるいは貴重な財物が物品貨幣に採用された。このため、貨幣や経済に関係する漢字には、「貨」「賣」「財」など、貝のつくものが多い。
 貨幣はやがて、交換手段として実際に受け渡しされるようになった。その後、交換取引の広範化とともに、銀や銅など耐久性や運搬性に優れた金属が貨幣素材に利用されるようになった。金の場合、王家など支配者の政治的権威を示す装飾品として利用される傾向が強く、貨幣素材に使われることは比較的少なかった。そして、世界最古の金属貨幣としては、紀元前8〜7世紀ごろ、春秋時代の中国で使用された青銅貨が挙げられる。この青銅貨は、貨幣としての流通性を形態面から保証すべく、当時の社会において重要な生産手段であった農具や刃物にちなんだかたちに鋳造されていた。農具の鍬をかたちどった青銅貨は布幣(ふへい)、小刀をかたちどったものは刀幣(とうへい)とそれぞれ呼ばれた。紀元前3世紀、秦の始皇帝の時代に貨幣の形状は円形方孔(中央に正方形の穴をあけた円形)に統一され、その後、約2000年にわたって踏襲されるとともに、東アジア地域における金属貨幣のモデルとなった。
 一方、西洋における金属貨幣は、紀元前7世紀ごろにリディア(現在のトルコ西部に位置していた古代の王国)で発行されたエレクトロン貨に始まる。エレクトロン貨は、金塊に人物や動物の絵を打刻してつくられたものであり、この様式がギリシャ、ローマ以降の西洋式貨幣の基礎となった。エレクトロン貨という言葉は、電気・電子を意味するエレクトロニクスにどこか似ているが、実は両者は同じ言葉を語源としているのである。  というのも、エレクトロン貨の素材となったのはエレクトラムと呼ばれる金銀の天然合金であり、この合金の名称はその色彩や輝きが古代ギリシャではエレクトロンと呼ばれた琥珀のそれによく似ていることに由来する。琥珀は古代の樹脂が地中で化石化したものであり、布などでこすると静電気が発生し、枯れ葉など小さくて軽量のものを引き付けるという性質をもっている。16世紀イギリスの科学者で電気を発見したギルバートは、この琥珀(エレクトロン)の性質にちなんで電気をエレクトロニクスと名づけたのである。「歴史は繰り返す」とよくいわれるが、最初の西洋式貨幣であるエレクトロン貨と20世紀末に至って登場しつつある電子マネーとが語源的には同じであることに、歴史の悪戯を感じるのは筆者だけだろうか。

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