◎日本銀行金融研究所 貨幣博物館◎
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貨幣の散歩道

第50話 内国為替制度の発達

 前回述べた手形交換所を軸とする決済システムの確立は、日本の決済制度史上きわめて画期的な出来事であった。しかし、それだけで銀行を中心とした決済制度が整備されたとはいえない。手形交換に加え、遠隔地との間での資金の支払いや取り立てを行う内国為替制度が発展してはじめて、決済制度が確立したといえるからである。今回は、この内国為替制度発達の歴史を簡単に振り返ろう。
 現行銀行法においては、預金、貸出および内国為替を同時に取り扱う金融機関が銀行であると定義されている。このことからも明らかなように、内国為替の取り扱いは銀行の本業であり、その効率的な処理を目指して明治初期より内国為替の集中決済制度の整備が提案されてきた。たとえば、わが国における近代銀行制度の父である渋沢栄一第一国立銀行頭取は東京、大阪の手形交換所を軸とした全国決済構想を、地方銀行も全国連帯為替決済構想をそれぞれ提示していた。しかし、いずれも実現するまでには至らなかった。
 そのため、第2次世界大戦末期に全国的な集中決済制度が創設されるまでの間、内国為替については、個々の銀行店舗単位で為替決済上不可欠な地域にある他行の店舗との間で締結されたコルレス契約に基づき、個別・分散的に決済されていた。それでもなお、この内国為替決済は明治初期においてはきわめて重要な金融革新であった。商人からみると、銀行の提供する内国為替を利用すれば、現金を遠隔地まで搬送するというリスクおよび手間のかかる仕事を省略できたからである。
 しかし、日本経済の発展に伴う内国為替の決済ボリューム増大とともに、個別・分散処理システムに潜む問題が顕現してきた。第1に、店舗単位で為替決済口座をコルレス先に開設のうえ一定の残高を維持しなければならないという非効率的なシステムの運営コストがかなりの負担となってきた。第2に、地方銀行においては、内国為替決済のため、全国的な支店ネットワークを有する都市銀行に依存せざるをえなくなり、そうしたなかで為替決済に付随するリスクは地方銀行が過大に負担するケースが増大していった。
 このような事態の改善を目指して昭和10年代前半、地方銀行から内国為替の全国的な集中決済を行う内国為替決済所構想が相次いで提出された。そうしたなかで昭和17年12月、戦時統制を目的として組織された全国金融統制会により共同決済制度という内国為替の集中決済制度が提案された。共同決済制度のあり方を独自に検討していた日本銀行では、金融統制会とも協議のうえ、18年8月から全国8支店で全銀行の為替を集中計算、集中決済するという内国為替集中決済制度を創設した。この制度は、中央銀行である日本銀行が内国為替に随伴するリスクおよび事務運営コストをすべて負担するところに特色があり、当時の欧米諸国にも見られない仕組みとなっていた。
 第2次世界大戦後、内国為替の集中決済制度も見直しを迫られることになった。日銀の関与が強すぎたからである。そして、10年にも及ぶ交渉の結果、集中決済業務のうち仕訳計算業務は民間銀行が、資金決済業務は日銀がそれぞれ行うという線で日銀と民間銀行との間で合意をみ、昭和33年6月25日に現在の内国為替決済制度が成立した。その後、この制度は全銀システムとして機械化され、現在では日々膨大な量にのぼる内国為替を処理し、決済面から各種の経済活動を支えている。

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