| 第49話 手形交換制度の発達
明治初期までの間、わが国においては現金決済または帳簿信用に基づく節季決済が商取引慣行として主流を占めていた。大坂では江戸時代、銀目手形が活発に流通していたが、銀目手形は節季支払いのために振り出された小切手であり、資金決済のために期間2〜3か月の商業手形を振り出すという欧米流の手形取引はほとんど行われていなかった。そうしたなかで商業手形の再割引による信用供与を軸とする西洋流の近代的銀行制度の早期確立を目指す政府にとっては、伝統的な取引慣行に代えて、欧米流の商業手形取引を定着させることが喫緊の課題となっていた。このため、政府では、各種の商業手形取引の振興策を実施してきた。その結果、明治10年以降、商都大阪を中心として手形取引も次第に活発化してきた。
大阪において手形取引が発達した背景としては、次のような経済的ニーズや明治初期における幣制の混乱を挙げることができる。第1に、経済的地位が後退したとはいえ、大阪はなお日本における商業取引の中心地であり、取引の円滑な履行のためにも効率的な決済手段に対する需要が高かった。第2に、銀目廃止とともに両替商が廃業に追い込まれた結果、両替商金融に代わる資金融通機構が必要とされていた。第3に、江戸時代に隆盛をみた銀目手形を媒介とする資金決済機構が事実上崩壊した一方で、太政官札、藩札といった不換紙幣を支払手段として受け入れた場合、濫発による価値下落リスクを避けることができなかった。
商業手形を割り引いた銀行が券面記載の金額を支払人となった銀行から受け取るためには、当該銀行に赴いて取立請求を行い、現金もしくは小切手による支払いを受ける必要があった。この手形取り立ては煩瑣でかつ時間のかかる事務であり、銀行界においては、取引量の増大とともに取り立てコストの大きさが強く認識されるようになった。そうした状況下、明治12年(1879)、手形取り立てコストの削減を目的に、民間銀行による自主的な活動として大阪において初めて手形交換制度が設立されるとともに、手形交換所が組織された。東京では、明治20年に手形交換所が開かれた。
ちなみに1773年創設のロンドン手形交換所を除けば、日本における手形交換所の組織化は、ニューヨーク(1853年)、パリ(1872年)やベルリン(1883年)との比較においても遜色がなく、その意味でかなり早いということができる。
手形交換所は商業手形・小切手の交換取り立てを目的とする組織として構成され、交換尻は当初、負け金額だけの小切手を勝ち銀行宛てに新たに振り出すというかたちで個別に決済されていた。その後、明治24年には資金決済の効率化を狙いとして、日本銀行当座勘定の振り替えにより交換尻を決済するという方法が採用された。このようにして、不渡手形の取り扱いも含め現在の手形交換の仕組みは、ほぼこの時期に確立した。すなわち、民間銀行による自生的な決済機構として誕生・発展してきた手形交換所と日本銀行における当座預金振替決済システムとが結合され、預金による決済を柱とする決済機構が成立したのである。そして、手形交換制度の発達とともに銀行の信用創造活動は従来に比べ大きく前進し、日本経済の発展を資金面から支えることになったのである。
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