◎日本銀行金融研究所 貨幣博物館◎
BACKWARD feature FORWARD
戻る 散歩道目次 進む

貨幣の散歩道

第48話 金本位制の確立

 明治30年(1897)10月、金0.75グラムを1円とする貨幣法が公布され、ここにおいて日本は19年ぶりに金本位制に復した。金本位制への復帰に際しては、多額の金準備の確保が必要とされたが、わが国の場合、よく知られているように、日清戦争でえた2億3000万両(テール)という巨額の賠償金が金準備に充当された。このため、一部には清国からの賠償金が金本位制の確立に繋がったという主張もみられるが、それは必ずしも正しくない。この時期、日本が金本位制を再び選択するに至ったのは、それなりの経済的事情を背景とした合理的な行動であったといえる。以下、そういった点についてやや詳しく述べよう。
 金本位制への移行を促したのは、銀価の下落とその日本経済に対する悪影響であった。すなわち、欧米諸国の銀本位制から金本位制への移行や世界的な産銀量の増加を主因として19世紀後半、銀に対する需給が大きく引き緩んだ。その結果、金銀比価は明治5年の1対15をピークとしてその後ほぼ一貫して下落し、27年には1対32と明治初年の約2分の1という水準を記録するに至った。こうしたなか、事実上の銀本位制下にあった日本では、為替相場が下落し、国内物価も持続的な上昇を余儀なくされた。この銀価下落、国内物価の上昇は日本経済に攪乱的な影響を及ぼした。とくに銀兌換券の発行により銀本位国に移行した明治18年以降は、そうした傾向が顕著にみられた。
 銀価下落に伴う悪影響を除去するためには、わが国も欧米先進国の大勢にしたがい、価値の安定した金本位制に移行するのが望ましいという意見が高まった。このとき金準備の調達が大きな問題となったが、それは清国からえた賠償金で解決され、明治30年10月から金本位制が再び採用された。日本が金本位制国へと移行するに際しては、当時の金銀比価を基準として、円の金平価は1円0.75グラムと明治4年の新貨条例で設定された平価の2分の1に切り下げられ、ここに昭和6年12月の金輸出再禁止まで通用した1ドル=2円という円・ドル平価が定められた。
 金本位制の下で20円、10円および5円金貨が制定・鋳造されたが、本位貨幣である1円金貨については、つくっても小型すぎて流通に適さないとして制定されなかった。一方、銀貨に関しては、本位貨幣として流通していた1円銀貨が金貨との引き替えで回収され、補助貨としての性格を強めるべく50銭、20銭および10銭の3種類が制定・鋳造された。そして、金本位制の採用とともに、兌換銀行券も銀貨兌換から金貨兌換に改められ、日本銀行券上の標記も「兌換銀券」から「兌換券」に改められた。1円券に関しては、兌換金貨が制定されなかったため、発行停止とされたが、実際には1円不足を補うべく、旧来の兌換銀券が継続して発行された。
 この金本位制への移行は、日本経済に対し好ましい影響を及ぼした。第1に、価値の最も安定した金が価格基準に採用された結果、国内物価も安定し、商工業が着実に発展・成長しうる基盤が整備された。第2に、為替レートも安定し、貿易も順調に発展するようになった。第3に、これまで銀貨を基準に編成されていたため、銀価格変動の影響を強く受けていた財政も、そうした意図せざる変動から解放され、安定的なかたちで財政計画を編成できるようになった。

TOP


copyright