| 第42話 円の誕生
前回述べたように明治期初頭の貨幣流通は、金銀銭貨という幕府貨幣、藩札・私札や幕末の開港とともに大量に流入した洋銀(メキシコ・ドル)に加え、太政官札、民部省札など、さまざまな貨幣が時価通用するなど、極端な混乱状態にあった。こうした混乱を正すとともに統一的な貨幣制度を確立することが、近代国家の基盤整備を急ぐ明治政府にとって喫緊の課題となっていた。
明治3年11月、政府は銀本位制の採用および貨幣単位の十進法への変更、さらには「円」による貨幣制度の統一を内定した。銀本位制採用の背景としては、アジア地域における貿易決済通貨が銀であったことや、西洋諸国が金本位制を志向するなかで価値の下落した銀が幕末期にわが国に大量に流入したといった事情が挙げられる。そして、事実上の国際貨幣として当時機能していたメキシコ・ドル銀貨1ドルとほぼ同一の品位・量目を有する一円銀貨の鋳造準備が進められた。
しかし、明治4年5月に公布された新貨条例では金本位制が採用され、アメリカ・ドル金貨1ドルに相当する一円金貨が本位貨幣に定められた。この唐突な方針転換は、金融制度調査のため渡米していた伊藤博文からの建議を直接的な契機としていた。伊藤は、欧米諸国が金本位制へと移行するのを目の前にして、日本も歩調を合わすべきと主張したのであった。金本位制の採用は新政府の若きリーダーたちによるナショナリズムの発露とも考えられるが、それはまた、江戸期幣制との連続性に深く配慮した選択でもあった。
というのも、当時の日本における基本通貨は幕末の金流出を契機として大量に発行された万延二分金であり、この二分金は2枚、すなわち1両でアメリカ・ドル1ドルとほぼ等価であるとみなされていたからである。このため明治政府では、二分金とほぼ同価値の一円金貨(純金1.5g)を鋳造するとともに一円金貨1枚は洋銀1枚と等価であると定めたほか、二分金200個(100両)は一分銀311個(77両3分)に等しいとした。
この結果、国内的には江戸時代以来の金貨主体の貨幣慣行を維持しつつ、1円=旧貨1両、すなわち円・両という新旧通貨単位を読み替えるだけで1円=1ドルという新貨幣体系へとスムーズに移行できた。仮に銀本位制が採用された場合、1円は約4分の3両となり、両から円への移行には面倒な換算が必要とされた。また、円の表示単位も計算面での利便性に配慮のうえ四進法に代えて十進法に改められたほか、アメリカのセント、ミルにちなんで百分の一円が銭(セン)、十分の一銭は厘(リン)と命名された。なお、西洋貨幣では元首の肖像を図柄に用いる事例が多いが、一円金貨の場合には、元首である天皇の肖像に代えて中国で天子を象徴する竜が採用された。
新しい貨幣呼称に「円」が採用された背景は、史料面での制約もあって明確になっていないが、(1)新貨のかたちが円形に統一されたため、(2)洋銀の中国別称である「洋円」を継承したため、(3)香港銀貨と同品位、同重量の銀貨を製造することとした関係から、香港銀貨の「壱圓」(洋円1個の意味)にちなむ、といった仮説が提示されている。いずれにしても「円」が東南アジア貿易の決済に利用されていた銀貨の呼称であった点を考慮すると、両に代わる通貨単位としての円には日本貨幣を国際通貨として広く通用させたいという政府の願望が込められていた可能性は否定できない。
|