| 第36話 両替商はなぜ衰退したのか
前回述べたように、江戸時代、大坂で高度に
発達した信用制度の中核に位置していた両替商
は、銀目手形の引き受け・決済や資金融通を通
じて天下の台所、大坂の経済発展・成長を金融
面から支えていた。前近代の日本においても、
名称こそ異なるが、同時代の欧米諸国に勝ると
も劣らない両替商という金融機関が高度に発達
していたのであった。しかし、明治維新期にお
ける幣制の統一や近代的銀行制度の導入という
荒波のなかで、鴻池善右衛門、布屋両替店など
といった一部の例外を除き、ほとんどすべての
両替商が姿を消していったのである。
なぜ、そんなことになったのだろうか。やや
迂遠と思われるかもしれないが、この問題につ
いては、両替商の役割と金融機能面での特徴を
同時代のヨーロッパ諸国における金融機関との
比較により検討しよう。大坂の両替商による金
融業務面での最大の特徴としては、銀目手形を
媒介とした資金決済システムの提供が挙げられ
る。彼らは、親子両替を基礎とした独特のヒエ
ラルキーのなかで相互に提携のうえ全体として
ひとつの振替決済機構を構成し、イギリスのロ
ンドン手形交換所、大陸諸国の振替銀行に比肩
しうる資金決済システムを提供していたのであ
った。そして、約200年間にわたって大坂商人
が振り出した大量の手形を日々粛々と決済して
いた。その意味で、大坂の両替商が運営してい
た資金決済システムは、手形・小切手の個別取
立・個別決済制度として世界史的な観点からみ
た場合、前近代社会において最も発達したもの
であったということができる。
一方、金融仲介という観点からみると、両替
商はほぼ一貫して自己資本で大名や商人向けに
貸出を行うなど、個人経営の貸金業者としての
性格が強かった。加えて、ヨーロッパ諸国の銀
行がその後、イングランド銀行に代表されるよ
うに発券機能を有する近代的な銀行へと変容を
遂げていったのに対し、日本の両替商の場合、
幕末においてもなお発券機能を備えるに至らな
かった。日本でも藩札・私札の発行というかた
ちで札遣いが発展したが、それらの発行主体と
なったのは藩政府あるいは地方の有力商人であ
り、両替商が能動的に銀行券という支払手段を
発行することは絶えてなかったのである。
また、両替商の場合、金融仲介業務運営の核
となる借り手の審査・監視に関しては、株仲間
間の相互監視システムにただ乗りしていた。実
際、両替商が融資先商人の財務内容にまで立ち
入って信用度を審査・判断することはほとんど
なかった。そうであるがゆえに、明治政府が産
業政策として株仲間を廃止するとともに、両替
商に対しては手形業務からの撤退および貸金業
者への特化という競争劣位にある業務への転換
を強いるなかで、両替商という産業の基盤その
ものが構造的に崩壊していったのである。
いずれにしても、大坂の両替商が江戸時代に
築き上げた信用制度は、近世ヨーロッパ諸国の
それに比肩しうるものであったが、それらはま
た、株仲間に代表される旧来の制度の上に構築
されたものであった。このため、両替商という
産業は、明治政府による西洋化政策の波に乗る
ことができず、歴史のなかから姿を消していっ
たということができるのではなかろうか。
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