| 第35話 両替商と銀目手形
天下の台所、大坂では全国各地から集まった諸産物が問屋、仲買の手により売買され、江戸や地方に向けて再出荷されていた。そうした取引のほとんどは、判取帳や通帳に基づき信用で売買された後、商品ごとに定められた期日(これを節季という)に代金が支払われた。その際、決済手段として利用されたのが銀目手形であり、「百中ノ九十九迄ハ手形ニシテ正金取引ハ僅少ナリ」といわれるように、大坂における商取引のほとんどはこの銀目手形で決済されていた。
銀目手形が大坂においてとくに発達した背景としては、次のような事情が挙げられることが多い。第1に、大坂の支払手段であった秤量銀貨の場合、鑑定・秤量面での取引コストが高く、商人間の大口取引の決済手段には不向きであった。第2に、明和期(1764〜72)以降、徳川幕府により銀貨の金貨単位の計数貨幣化が進められるなかにあって銀目の商慣習を維持すべく、大坂商人により正貨によらない決済手段として手形取引が選択された。
銀目手形は、預り手形と振り手形に大別される。預り手形とは両替商が預金者に発行した預金証書あるいは銀貨の保管証であり、現代の預金小切手に相当する。預り手形については第三者への譲渡が容認されていたことから、「事実上の貨幣」として流通していたとされることが多い。しかし、最近では、預り手形は両替商に当座預金をもてない中小あるいは信用度の劣る商人を主たる対象として、両替商が正貨との引き替えで発行した自己宛の預金小切手であり、支払人である両替商の高い信用力に基づき支払
手段として広く受け入れられたとされている。
一方、預金者が預金を引き当てとして両替商宛てに振り出した支払指図を振り手形という。振り手形は今日の小切手に相当する。振り手形の場合、券面の右下に「何某殿へ」という受取人を示す妻書が入れられており、手形の受領者はこれを自らの取引先両替商に預入のうえ、券面金額の支払いを受けることができた。振り手形の日付は実際の振出日とするのが一般的であったが、振出人の資金繰りなどの都合によっては先日付で振り出されることもあった。これをとくに延手形(のべてがた)という。延手形は、今日の先日付小切手に相当し、受取人は満期日当日に両替商に預け入れ、現金化を図るというのが一般的となっていた。
大坂においては両替商相互間の資金決済にも銀目手形が用いられており、そうした手形をとくに振差紙(ふりさしがみ)と呼んでいた。振差紙は原則として両替商間でのみ通用した特殊な銀目手形であり、その所持人が手形の名宛人である両替商に正金銀の支払いを請求しても、正金銀が支払われることはなかった。振差紙は両替商間の資金決済のための債務移管証文、あるいは親両替に預けてある当座預金の貸借振替指図書であり、振出当日の夜九ツ時(午後12時)までに決済を完了させる必要があった。
こうした銀目手形はすべて、手形交換所という手形の集中交換決済制度が整備されていないなかで、親子関係に代表される両替商間のネットワークを通じて決済されていた。この間、手形取引に伴い発生した両替商間の債権債務については、月に1〜2度、正貨の受け渡しにより決済された。
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