| 第12話 土倉と金融業の発達
近代的な銀行制度の淵源は通常、13〜14世紀にかけて北イタリア・ロンバルディア地方
で発達した両替商、あるいは17世紀イギリスのゴールドスミス(金匠)に求められる。
ちなみに銀行を指す「バンク」は、イタリアの両替商が利用していた「バンコ」という
両替台に由来する。日本の場合、近代的な銀行制度の萌芽は明治期以前にはなかったと
いい切れるのだろうか。ここでは、わが国における金融業の歴史をみることにしよう。
わが国においては、前回述べたように中世より金融取引が活発に行われていた。とり
わけ12世紀および15世紀には「バブル」といってもよいほどの活況を呈していた。そ
うしたなかで平安時代末期には、借上(かしあげ)と呼ばれる、銭を貸して高利の利息
をとる専門の金融業者が現れた。借上を営んでいたのは主として僧侶であり、彼らは寺
の供物を農民などに貸与し、債務不履行となった場合には質にとった田畑を没収した。
鎌倉時代になると、土倉(どそう・どくら)と呼ばれる質屋が借上に代わって金融業
者の主流を占めるようになった。そして、室町時代に入ると、土倉は借銭・利銭という
質屋金融のほか、不特定多数の人々から利子付きでお金を集め、これを原資として貸付
を行う「合銭(ごうせん)」や、現在の為替に相当する替銭(かいせん・かえぜに)に
も従事するようになった。土倉は預金、貸付および為替業務を営んでいたのである。
このことは、わが国の金融が欧米諸国に勝るとも劣らぬ古い歴史をもっている
ことを示している。とりわけ銀行の起源に関しては、イギリスよりも約1世紀古いとい
えよう。
もっとも、土倉は、その多くが神人(じにん)と呼ばれる神社・仏閣と結びつい
た特権的武士階級により営まれていたこともあって、室町時代末期に戦国大名による領
国支配が強まるなかで、旧勢力である神社・仏閣の権威・経済力の低下とともに没落し
ていった。そして、江戸時代になると、有力商人が新たに両替商を営むようになった。
この両替商金融を基礎として、明治時代、欧米流の近代的銀行制度が発達していったの
である。
わが国中世の金融取引としては、このほか「祠堂銭(しどうせん)」という社寺によ
る担保貸付がみられた。中世において社寺は有力な封建的土地所有者であっただけでな
く、蓄財の利殖のため、金融業をも営んでいたのである。借銭・利銭、祠堂銭とも利
息は年利5〜6割と高利であったことから返済は容易ではなかった。そのため、担保に
差し入れられた土地・地頭職などが土倉や社寺の手許に流れるというかたちで御家人階
級や農民の生活を圧迫した。
出挙、借上、土倉、祠堂銭など、古代から中世にかけてみられた金融取引の多くが神
社・仏閣により営まれていたという事実は、非常に興味深い。第1に、当時の社会にお
ける富の分布や金融取引が神仏と密接に繋がっていることを示しているからだ。第2に、
彼らの金融業者としての拠り所は、「債務不履行は神仏の供物を奪う行為であり、そう
した輩は死後地獄に堕ちる」という宗教的な返済強制力にあり、借り手も神仏の冥罰を
おそれて約定どおり返済に努めたのであった。
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