| 第11話 11世紀からあった為替取引
ここで再び、目を金融取引の歴史に向けることにしよう。最初は為替取引である。
わが国における為替取引としては、これまでのところ、永承3年(1048)の東大寺文
書にみられる「替米(かえまい)」が最も古いとされている。替米と呼ばれる米に
関連した取引が為替と認められるのは、当時は米という物品貨幣が一般的な交換手段と
して広く用いられたためである。中世において為替取引が発展したのは、寺社などの荘
園領主が年貢物の輸送に伴う不便と危険を回避しようとしたことを背景とする。寺社の
荘園は京都や奈良から遠く離れた遠隔地に位置しており、そうした場所から京都などに
年貢物を運搬するにはかなりの手数や費用を要するだけでなく、盗難に遭うおそれも高
かったのである。
一方、諸司・諸家が発給した切下文(きりくだしぶみ)・返抄(へんしょう)、ある
いは諸国により発給された国下文(くにくだしぶみ)・国符(こくふ)といった個人へ
の支払・給付手段は、小切手・為替手形の機能を果たしていた。諸司・諸家等の必要と
する物品を立て替えた人は、代金として切下文などを受け取り、それを京都近郊の受領
の管理する倉に提示すれば、文書に記載されただけの物品の支払・給付を受けられたの
である。この切下文、国下文などが、現在われわれが利用している小切手・手形の淵源
であり、「切る」という言葉には、神仏から物を切り離すという意味が秘められている
のではないかとされる。
為替・手形類似の文書を用いた物資の移動は、11世紀には源頼親のような武将や下
級官吏、僧侶などが行っていたが、12世紀になると、各地からの律令税の徴収や年貢米の
都への輸送に不可欠な商業・輸送ルートを掌握していた神人(じにん)・供御人(くごにん)
が請け負うようになった。彼らは、公家や社寺に奉仕者として仕えることが認められた
特権的武士であり、天皇や神仏の権威により日本中を自由かつ安全に行き来することができた。
12世紀後半以降、渡来銭が貨幣として利用されるようになるなかで、13世紀後半に
は銭貨を対価とした為替(割符=さいふ)が登場した。鎌倉時代も末期に入ると、各
地で買い入れた産物を他国に売りさばく遠隔地商人が広く活動するようになった。彼
らが都での販売を目的として特産物を地方で仕入れるに際しては、都から代金として
の米銭を送金しなければならなかった。この米銭輸送に伴う不便と危険負担を減殺させ
るため、遠隔地商人と荘園領主との対称的な資金送金ニーズを引き合わせるかたちで、
割符・替銭という為替取引が発達した。
当然のこととして、割符などについては債務不履行も少なからずみられた。これに対
しては、支払人が住む国や郷の人々が連帯保証する国質(くにじち)や郷質(ごうじち)、
特定の商業都市において出会った第三者からの債権取り立てを認める所質(ところじ
ち)などの債権保全策が講じられていた。このうち所質については、円滑な商業取引を
妨げる「不当な行為」であるとしてまもなく幕府により禁止された。
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