| 第10話 渡来銭の劣化と撰銭
渡来銭がわが国における国内貨幣として長年にわたって利用されるにつれ、その質的
な劣化が進むとともに、私鋳銭の流通も増大していった。こうしたなかで15世紀後半
以降、銭貨をその質的優劣にしたがって良銭(精銭)と悪銭(鐚銭=びたせん)に区分
のうえ、悪銭については受け取りを拒否する、あるいは割り増しをつけて受け取るとい
う貨幣選別行動が高まった。これを「撰銭(えりぜに)」という。例えば、悪銭は、16
世紀末から17世紀初めにかけて、良銭の2分の1から10分の1の価値で流通していた。
なお、鐚銭という言葉は、一見すれば明らかなように和製漢字であり、悪銭の場合、重
ねあわすと「びたびた音がする」ことに由来するとされている。
撰銭という現象は、長年にわたって政府が貨幣鋳造権を放棄するとともに流通銭貨の
質・量両面での管理が一切実施されていないなかでは避けられないものといえよう。実
際、幕府や戦国大名は、貨幣の円滑な流通の促進を目的として撰銭を禁止する令(これ
を撰銭令という)を幾度となく発し、撰銭行為を取り締まろうとしたが、なかなかなく
ならなかった。撰銭が本格的に解消したのは、徳川幕府により幣制が統一された17世
紀後半になってからのことである。
それでは、撰銭という行為がなぜ15世紀後半に突如として発生したのだろうか。撰
銭はわが国に固有の現象ではなく、中国でも1460年代以降、同様の問題に直面してい
たということを踏まえて考えると、撰銭は中国から波及してきた貨幣現象であるとい
えよう。日本も中国と同じ金属通貨を貨幣として利用していたため、そうした問題発生
の同時性あるいは追随性は、ある意味で当然のことである。撰銭が中国から波及してき
た貨幣選別現象であるとした場合、それは、どういった経路で日本に流入したのだろ
うか。やはり明との貿易を通じて日本へと移入されたと考えられないだろうか。第12
次遣明船(1465年出発、69年帰国)以降、銭は私貿易によって生糸・絹織物・陶磁器
といった中国商品に換えて持ち帰られることが多くなった。こうした中国商品を購入す
る過程で明に渡った博多や堺の商人は、中国国内で撰銭に遭遇し、帰国後、これが
博多・堺・京都などの有力商人に伝えられ、中国にならって撰銭を行う動きが日本にお
いても広まっていったと考えられる。
撰銭という貨幣選別行動が広がるなか、15世紀後半以降、わが国においても支払決
済面での混乱が避けられなくなった。このため、中国での例にならい、貨幣の円滑な流
通の確保を狙いとして、撰銭令が戦国大名や幕府により発出された。撰銭令の内容は規
制者の意識を反映してかなり異なっているが、多くの場合、@良銭、悪銭の同価通用を
強制するA特定の良銭を標準貨幣に定め、その他の銭貨については打歩(減価)適用
とするB良銭・悪銭の混用率を規制する−−などからなっていた。もっとも、民間部門
における良貨選好の動きに抗することはできず、数度にわたって発出されたことが如実
に物語るように、撰銭令はさほどの効力をもたなかったようだ。
|