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新収蔵品「古金銀貨」の展示・公開

 日本銀行は、これまで歴史的・文化的価値の高い古金銀貨を多数所有してきましたが、平成14年(2002年)に創立120周年を迎えた機を捉え、これら古金銀貨を文化的価値を有するものとして貨幣博物館で保存・公開していくことにしました。
 第1回目の展示・公開では、これら古金銀貨の中からとりわけ歴史的・文化的価値が高いといわれる「分銅金」を紹介。貨幣博物館では、今後もこれら古金銀貨のうち整理分類作業を終えたものから、順次展示・公開していく予定です。

「新収蔵品1〜徳川家康の遺産『分銅金』〜」について
 「分銅金」は、戦さなど非常時の備蓄用として鋳造されたといわれる金塊(重量:375グラム<100匁>、金の品位:95%)で、「法馬(ほうま)金」「印子(いんす)金」とも呼ばれています。今回展示する「分銅金」は、日露戦争当時に正貨準備充実のため、日本銀行が尾張徳川家より買入れたものです。徳川家康の遺産として徳川御三家(尾張・紀州・水戸)などに分与されたものと考えられています。

「吉」の極印 「桐」の極印 「亀甲桐」の極印 「定」の極印
「吉」の極印
布目地紋
「桐」の極印
菊花地紋
「亀甲桐」の極印
布目地紋
「定」の極印
石目地紋

*** 謎の多い分銅金 ***
 分銅金は、豊臣秀吉が作らせたものと考えられてきましたが、安土桃山〜江戸初期の社会・政治の状況を記した「当代記」には、慶長12(1607)年に「大御所(家康)より印子金(分銅金?)壱<いち>万御誂<あつらえ>と云々・・」と記されており、家康がなんらかの備蓄用金塊を1万個作らせたことは、間違いないようです。また、家康の遺金として「久能御蔵金銀請取帳」に「ふんとう(ふんどう)」の記載があることも確認され、当館所蔵の分銅金も尾張徳川家に伝来するものであることから、上記の家康の遺金であることは間違いないところです。
 しかし、分銅金を作ったのは誰なのか(大判や小判を鋳造した後藤家が分銅金の鋳造に携わった記録は確認されていない)、すべて同一の製造者なのか、そうだとすれば、なぜ何種類もあり、その一部にきわめて繊細な細工を施したものがあるのか、といった解明されていない点が多く、依然、謎の多い分銅金です。

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