貨幣博物館 常設展示図録
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3貨幣天下統一裏裏裏32甲斐(現・山梨県)でつくられた金貨。甲州金には、4進法の貨幣単位(1両=4分=16朱)が使われた。Koshukin(Gold) 近世額一分金の形状にならってつくられた。Gaku Ichibukin(Gold)家康が発行したとされる。Keicho Ichibukin(Gold)Musashi Sumigaki Koban(Gold)家康が自らの領国で発行した。裏面に埋め金による重さの調整をした跡がある。Keicho Koban(Gold)額面などを墨書から極印に変えることで小判の量産が可能になった。露一両金角一分金甲州金幕府の設立を目指していた家康は、16世紀末に関東の自らの領国で発行していた貨幣を引き継いで全国で流通する金貨をつくった。一方、西日本では銀貨が広く流通していたため、銀貨も発行した。(慶長金銀の発行 1601年)一分朱中糸目金額一分金慶長一分金武蔵墨書小判慶長小判約650年ぶりの国家によるお金の発行Re-start of Coinage by the State After Roughly 650 Years川家康は、全国の金銀鉱山を直轄化するとともに、貨幣をつくる技術を管理し、金貨・銀貨の製造体徳制を整備した。そして、国家として約650年ぶりに、大きさ・重さ・品位(金銀の含有率)などを統一した金貨と銀貨を発行した。中世から引き続き使われていた銭貨は、江戸幕府が発行した寛永通宝に統一された。16世紀の金貨・銀貨盛んになった鉱山開発を背景として各地の大名によって金貨・銀貨がつくられた。徳川家・江戸幕府発行の金貨・銀貨貨幣統一への道のり 金貨・銀貨・銭貨 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

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