貨幣博物館 常設展示図録
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memomemo26江戸時代以降に「鐚銭」の文字が当てられた「びた銭」は質の悪い銭貨を指すものとされてきた。しかし、16世紀後半においては「びた銭」が必ずしも質の悪い銭貨を指すわけではなかった。 中世加治木銭Kajikisen16〜17世紀大隅加治木郷(現・鹿児島県)でつくられたとされる。裏面に加・治・木のいずれかの文字のあるものが多く、銭文は「洪武通宝」が多い。島銭Shimasen14〜15世紀独自の銭文をもつものが含まれる。※びたはイメージ画像裏裏裏※(東日本の事例)無文銭と鋳型(複製)16世紀半ば〜後半堺環濠都市遺跡(大阪府)出土原資料:堺市文化財課蔵琉球(現・沖縄県)では、独自の銭貨がつくられたほか、渡来銭も使われた。大量の銭貨を蓄える慣習はなかったこと、また南宋や明で発行された大銭(大型で一文銭より高額面の銭)が使われたことなどが明らかになっている。琉球でつくられた銭貨。鳩の目のような形をした小型の無文銭。琉球では16世紀頃から使われたとされる。鳩目銭400〜1,000枚に細縄を通し、結び目に封をしたものである。大世通宝Daise TsuhoHatomesenSealed Hatomesen永楽通宝の枝銭(複製)15〜16世紀 村松白根遺跡(茨城県)出土原資料:東海村教育委員会蔵琉球の銭貨Ryukyu Coins鳩目銭封印銭世高通宝Sedaka Tsuho「びた」に秘められた歴史日本で銭貨をつくる

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