貨幣博物館 常設展示図録
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2米か、銭か国に代わり銭貨が使われる機会がますます増えていった。memo 中世22借上から借りた銭貨を数える侍女「山王霊験記絵巻」和泉市久保惣記念美術館蔵右の絵は、鎌倉幕府の御家人が川に落とした10文を拾うため、50文で松たい明まつを買い、従者に探させる逸話の一場面。鎌倉時代に銭貨が浸透していたことをうかがわせる。諸国をつなぐ交通の要所にある市では、「有う徳とく人にん」とよばれる裕福な商工業者が現れた。有徳人として、品物の輸送や販売・送金などを行う「問とい丸まる」、金融業者である「借かし上あげ」や「土ど倉そう」などがあげられる。歩くことも困難なほど太った借上「病草紙」福岡市美術館蔵(松永コレクション)火事で残った土倉「春日権現験記絵」宮内庁三の丸尚蔵館蔵土倉は貸出だけでなく預金業務も行い、「中世の銀行」ともいえる存在だった。落とした銭貨を探す武士Samurai Warriors Searching for Their Lost Coins「教導立志基 青砥藤綱」納められた年貢は、地方から中央に米などの生産物のまま送られていた。しかし、次第に人々は地方の市で生産物を売って得た銭貨で年貢を納めるようになった。米の代わりに銭貨で年貢を納めると、年貢の荷は大幅に軽くなった。代銭納と銭貨の使用の広がりPayment of Taxes in Cash Promotes Coin Usage内で銭貨の使用が広がると、人々は米などの生産物をそのまま年貢として納めるのではなく、代わりに銭貨で納めるようになった(代銭納)。これにより、人々の間で銭貨の使用がさらに広がり、米や絹銭貨で年貢を納める銭貨の浸透人々の間では、日常の仕事や買い物、旅での支払いなど、様々な場面で銭貨の使用が浸透していった。お金持ちの登場人々に使われる銭貨Copper Coins Used by People

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