貨幣博物館 常設展示図録
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1銭をつくる7書紀』には、683(天武天皇12)年に銀銭の使用を禁じ、銅銭の使用を命じたことが記されている。 古代14無文銀銭Silver Coin Without Inscription 7世紀半ば〜8世紀初め石神遺跡出土(奈良県)奈良文化財研究所蔵銀片を貼って重さを約10gに整えており、銀の地金価値で使われたと考えられる。表面に銀片を貼り付けて重さを整えているmemo富本銭Fuhonsen (Copper)7世紀後半飛鳥池遺跡出土(奈良県)奈良文化財研究所蔵東アジアのなかで中国(唐)に次いで発行された金属の鋳造貨幣で、銅とアンチモンの合金。都づくりのため貨幣として流通させたとする説のほかに、まじない用の銭貨(厭ようしょうせん勝銭)とする説もある。外形が丸く、中央に四角い穴があいた円形方孔銭『日本書紀』によると、683年に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ。」という命令が出されている。大量に出土した富本銭飛鳥池遺跡は、7世紀後半の大規模な工房遺跡である。富本銭の未完成品とともに、富本銭をつくるためのさまざまな道具(鋳型・砥石・るつぼ・ヤスリなど)が出土した。画像提供:奈良文化財研究所「銅銭」=富本銭「銀銭」=無文銀銭複数の工房が発見された飛鳥池遺跡飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)の発掘調査により、683年に使用を禁じられた銀銭が無文銀銭で、同時に使用を命じられた銅銭が富本銭であることが明らかになった。国家による銭貨生産の開始The Start of Coinage by the State世紀後半、中国の銭貨を手本にして、日本でも金属の貨幣、富本銭がつくられた。富本銭がつくられた時代の日本は、中国にならった中央集権国家の建設を進めていた。国家が編さんした歴史書『日本無文銀銭富本銭飛鳥池遺跡の発見『日本書紀』にみる銀銭と銅銭無文銀銭と富本銭Silver Coins Without Inscription and Fuhonsen Copper Coins

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