貨幣博物館 常設展示図録
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ゆるやかなお金の統一 41文政の改鋳・天保の改鋳文政の改鋳・天保の改鋳では元禄の改鋳と同様に、改鋳益で財政赤字を埋め合わせた。万延の改鋳金銀比価が国内と海外とで異なっていた状況を改めるため、金貨に含まれる金の量を大幅に減らした。開港直後に行われ、改鋳益の一部は従来の金貨を持っていた人々に支払われたが、大半は財政赤字の埋め合わせに使われた。文政小判Bunsei Koban1819年品位56%重さ13g天保小判Tempo Koban1837年品位57%重さ11g文政真文二分金Bunsei Shimbun Nibukin文政一分金Bunsei Ichibukin文政一朱金Bunsei Isshukin天保二朱金Tempo Nishukin天保一分金Tempo Ichibukin文政草文二分金Bunsei Sobun Nibukin万延小判Man’en Koban1860年品位57%重さ3g安政小判Ansei Koban1859年品位57%重さ9g万延一分金Man’en Ichibukin万延二分金Man’en Nibukin万延二朱金Man’en Nishukin元文小判Gembun Koban1736年品位66%重さ13g◆改鋳の目的改鋳の主な目的は、流通しているお金の量や物価の調整、改鋳で得られる利益による幕府の財政赤字の補てん、傷んだ貨幣の回収と新しい貨幣との入れ替えなどであった。天保五両判Tempo Goryoban1837年品位84%重さ34g改鋳益で財政赤字を埋め合わせるために発行されたが、発行額は多くなかった。◆金貨がつくられた場所  金座 江戸時代初期の金貨は、各地の小判座で金貨に仕上げて御金改役所(後藤役所)に納められた。元禄の改鋳の際は、江戸の本郷の製造所で後藤家の指示のもと金貨がつくられた。その後、日本橋の後藤役所の敷地内に製造所を移し、金座とよばれるようになった。元文の改鋳幕府は、元禄の改鋳と同様に流通する貨幣の量を増やした。従来の貨幣を引替える際には、品位を低下させた新しい貨幣を多めに渡した。その後80年以上にわたり改鋳は行われなかった。安政一分金Ansei Ichibukin安政二分金Ansei Nibukin元文一分金Gembun Ichibukin

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