貨幣博物館 常設展示図録
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ゆるやかなお金の統一 35銅の輸出[銅銭・棹銅の輸出] Export of Copper Coins and Copper Ingots江戸時代初期、銅の地金や大量の銅銭が東南アジアなどへ輸出された。幕府は寛永通宝発行のため材料となる銅の輸出を禁止したが、後に再び輸出を許可した。◆金銀の輸出国から輸入国へ18世紀に入ると幕府は、金銀が国外に流出するのを防ぐため、甘藷、砂糖、朝鮮人参などの輸入品の国産化を進めた。18世紀後半には、銅の地金のほか、海産物の輸出を増やし、貨幣の材料となる金銀の輸入を開始した。棹銅(複製)Saodo Copper Ingots原資料:住友史料館蔵輸出用の銅地金。棒状で純度が高く赤みを帯びている。大坂でつくられ長崎から輸出された。寛永通宝Kan’ei Tsuho(Copper)1636年幕府は寛永通宝発行の翌1637年に銅の輸出を禁止した。金の輸出幕府が1660年代にオランダ船に対して小判の輸出を許可すると、東南アジアなどに向けて小判が輸出されるようになった。その後、小判に含まれる金の量が減ると輸出は減少した。[小判の輸出] Export of Koban Gold Coins慶長小判Keicho Koban (Gold)1601年品位84% 18g元禄小判Genroku Koban (Gold)1695年品位57% 18g宝永小判Hoei Koban (Gold)1710年品位84% 9g幕府は慶長小判よりも純度の低い元禄小判を発行した後、輸出を元禄小判に限定し、慶長小判と同じ価格で輸出するようオランダ側に命じた。軽くなった宝永小判も同じ価格での輸出を命じたことなどにより、輸出高は減少に向かった。長崎貿易銭Nagasaki Boeki Coins for Trade(Copper)1659~1685年長崎で貿易用につくられた銭貨。中国の銭貨と同じ銘が使われているが、書体が異なる。長崎出島で棹銅を計量し輸出する場面A Scene of Exporting Copper Ingots寛永通宝の発行から10年後の1646年に銅の輸出が再開された。その後も寛永通宝の輸出は禁止され、銅は棹銅(銅地金)の形で輸出された。「唐蘭館絵巻」長崎歴史文化博物館蔵 ◆オランダ船による銭貨輸出1630年代に平戸におかれたオランダ商館の帳簿には、大量の銭貨を輸出していた記録がみられる。

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